2006-12-27 (vol. 134)
─ 舞踏家・竹之内淳志さん ロングインタビュー
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舞踏を現代
に残したい


(1)光と陰の両方を受け入れる
(2)暗い部分にフォーカスを持ち続ける
(3)身体の内からのかたちをつける


この3点が舞踏が持つ特性。これを伝えていきたいという竹之内さん
■アーティストとして国外で活躍したかった動機は最初にお聞きしました。一方で現代において舞踏をきちんと残したいという意思もあるとか。
『最近のコンテンポラリーダンスの中で感じるのが「スピリチュアリティ」を排除しようという傾向があること。「魂」などと言い出すと、それは宗教か?ということになってしまい、シアターなどで見せる芸術ではないという話になるんですね』

■排除の理由は?

『おそらく、日本ならオウムの一連の事件が大きく影響していると思います。欧州でも、宗教というとカルト的になっていくと思われたり、アーティストが宗教的なことをするとカリスマになっていくおそれがあると考える人もいます。ダンスが宗教化、スピリチュアル化することに対して、多くの人が胡散臭いものを感じているということだと思います』

『僕も欧州にきて、最初に舞踏のワークショップをやったとき、「煙」「木」「草」「動物」「死に行くもの」「生きるもの」といったことをやりましたが、あまり宗教的なことはしなかった。しかし舞踏は魂との対話ということを抜きにして成り立たない世界です』 

■魂と踊りは関係が深いといということですね。
『舞踏とは何か、というよりも踊りとは何かということから考えると、踊りはもともと神事。神々に祈るもので奉納するものでした。歌舞伎も能も昔の田楽なんかもそうだと思う』

『踊りは天然痘などの「祟りもの」に対する祟り封じであった、という歴史もあります。田楽なんかも田植えのためといわれていますが、それにしてはお坊さんがたくさん踊っている。だから疫病封じのような意味合いがあったのではないでしょうか。護符としての踊り。祈りとしての踊りですね』

■竹之内さんご自身、神戸で鎮魂の踊りもされていました。

『はい。欧州なんかでも、もともとは祈りと踊りというのは関係が深かったと思います。ところが18、19世紀、芸術家が自立していくなかで宗教と切り離してきた』

『舞踏は宗教をいっているわけではありません。ただ体というのは心の底から信じない限り動かないんですよ。空と自分が同一化する、木と自分が同化していくとか、自分をトランスフォーメーション(変容)させていくわけです。頭で変容してもそれは違う。身も心もなりなさい、というわけです。確か、土方巽先生も「空っぽの器になりなさい」言っていた』

『オカルトじみて聞こえるかもしれないですが、宇宙と自分がどうつながっているかという認識や、魂とは何かといった、即身仏に近いような宗教性のようなものが自分の中に宿ってないと、舞踏はできない』

■舞踏を『暗黒舞踏』という言い方で語られることもあります
『「暗黒」といわれているものが舞踏にはあります。病気や歳をとることの恐れ、病気で死ぬことの恐れを欧州やアメリカで皆強くもっていて──もちろん日本でもそうなのですが、例えば1906年生まれの舞踏家、大野一雄先生(※)は今も踊っていらっしゃる。年老いてもそれは美しいもので、衰えていくものの美しさがそこにある』

『つまり、舞踏は病とか朽ちていくもの中の美しさを見出す。これは「わび」「さび」にもつながる考えだとは思いますがそういうものが舞踏の「暗黒」にはある』
※大野一雄(おおの かずお)
1906年生まれの現役の舞踏家。国外でもよく知られている。子息の慶人氏も舞踏家。竹之内さんも大野一雄・慶人氏の宇宙観に触れ、師事したことがある。
大野一雄舞踏研究所
http://www.kazuoohnodancestudio.com/


■「暗黒」をすくいあげる。
『舞台のダンスとは明るいものであり、かっこつけなければいけないと思う人が多いと思います。それに対して、自分の中の暗いものに対して封印したがる部分、本当の自分の姿を出していこうという舞踊は世界で少ないと思います。もっとも僕自身、暗黒舞踏が暗いとは全く思っていません。土方巽先生の舞台は面白くてユーモアがあった』

■近年、舞踏はコンテンポラリーダンスの一種として見られる向きがあります。
『もちろん一部でいいんですけど、「一部」というだけなく、なくなってしまうのではないかという危惧があります。というのも欧州にきている舞踏はかなりコンテンポラリーダンス化しているように感じるからです。どういうことかというというと、コンテンポラリーダンスのアーティストがテクニックとして舞踏を覚えようとしている傾向があるんですね』

『しかし、舞踏的なテクニックは手に入れていても、そこに魂、暗さ、暗黒といった自分の内側を解放していくものという意識までは感じられない。舞踏は暗さに着目して、暗さの中に光を見つけ、そして明かるさにまでかえていく。技術からとってきたものをまぜていくだけ。ということは多分、舞踏の特質が希薄になってくるのではないかと思うわけです』

■日本では今も多くの舞踏のアーティストが活躍しています。
『それはそうなんですが、若い人たちが今、舞踏を受け入れないようになってきている。大変いい内容のワークショップをしている舞踏家が日本にいるのですが、最近ワークショップをやめてしまったそうです。理由は定期的に来る人がいないから。必ず3-5回きたらぬけていく。また新しい人がくる。すると常に同じ段階からやらなければならない。教えることに消耗が大きいというんですね』

『若い人は欧州のアレキサンダーテクニック、ラバン・テクニック、コンタクト・インプロビゼーションといったものをおぼえたがる。それはそれで理解はできるのできるのですが、舞踏に対して、気持ちわるい、古臭い、おどろおどろしいといったイメージを若い人はもっているのでしょう。それでも日本の若い人が舞踏を認識する時期もまたくると思います。漠然とですが10年後ぐらい』

■竹之内さんは欧州で盛んにワークショップをされています。
『僕のワークショップに来る若い人は何を求めているのかというと、舞踏の中にあるスピリチュアリティや暗いものも、明るいものも同時にうけいれていくことだと思います』

『(1)光と陰の両方を受け入れる、(2)暗い部分にフォーカスを持ち続ける、(3)身体の内からのかたちをつける。この3点を舞踏は教えつづけなければならないし、そこにこだわらなければ、舞踏の生き残らないと思います』
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発  行  人 : 高松平藏 
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