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 第2回 記者も市民だ


前回、ジャーナリズムを具体化する新聞は、『公共の言論空間』と『公共の生活空間』がだぶることが肝要ではないかと述べた。ドイツの地元紙をみると、その 2 つの公共空間が見事に重なっているように思われるのだが、そこに執筆している記者たちはどうしているのであろうか。今回はエアランゲン市を中心に取材活動を行っている私の体験を中心に考えてみる。

地元記者と勘違いされた話

 所用でたびたび訪ねる人口 2 万人余りの街がある。
 ある時、たまたま興味引かれるイベントがあったので、写真を撮り始めた。私はカメラマンではないが、プロのカメラマンと同様の動きをとる時がある。そのイベントでも地元の新聞社のカメラマン2名が動きまわっていた。彼らは私の存在に気がついた。

『よお、あんたは(地元のもうすこし広域で発行している)●●新聞かい?』 と私に尋ねてきた。

『いや、日本に向けて書いているフリーランスのジャーナリストだ』

『日本!へーそりゃすごいや』

『ところで、あんたは□□新聞かい?』と私。
□□新聞も地元紙である。

『(もう一人のカメラマンを指差して)いやいや、□□新聞はあっち。俺は△△新聞だよ』と別の地元紙の名前が出た。

 そのあと二言三言交わして、『いい写真がとれるといいな』とエールを交換するかたちで、再びイベントの撮影に戻ったのだが、2万人余りの街でもこんなふうに地元の報道活動が行われているのを実感した出来事だった。

ご近所同業者
 私が住むエアランゲンの場合、現在の私の拠点であることから、地元の記者の様子がもう少し詳しく見える。

 エアランゲンの地元紙、『エアランガー・ナッハリヒテン紙』(以後エアランゲン新聞)のペーター・ミリアン編集長によると 12 人の職業記者と 20 人程度のボランティア記者が同紙に執筆しているという。またエアランゲン在住のあるフリーランスのジャーナリストによると、この街には 25 人の編集者やジャーナリストが活躍しているともいう。

 エアランゲン市は人口 10 万人。東京都なら中央区、大阪市ならば都島区。京都市でいえば中京区程度の規模の街である。これらの区は昼夜人口の格差が大きすぎるなど、あまり適切な比較にはならないが、いずれにせよ、大都市のひとつの区域と同程度の人口の街にこれだけのジャーナリストたちがいるのだ。

 したがって、私の経験の範囲でも次のようなことが起こりうる。
 まずは現在の住まいに引っ越してきたときのことだ。近所に 2 人のジャーナリストがいることを知り、驚いた。同じ集合住宅の階下に住んでいたのはエアランゲン新聞を中心に文化を専門に書いているジャーナリスト。そして同じ通りのすぐ近所には同じくエアランゲンおよび周辺で読まれている『フランキッシャーターグ』紙のジャーナリストだった。

 彼らとは時には散歩をしているときに会う。近所の公園へ子供をつれていくと、彼も子供とサッカーに興じていたりする。そうかと思えば、記者会見の会場で会うことになる。

 他にも近所のスーパーへ朝一番にいくと、エアランゲン新聞の文化部編集長と会うことがある。たいてい彼は幼稚園へ子供を送り終えた後で、子供用のシートを取り付けた自転車に乗って買い物に立ち寄ったという感じだ。わが家の前を自転車で走る姿を見かけることもある。彼もわが家と同じ生活圏に住んでいるのだ。

 私の子供が通う幼稚園でも1人、地元の放送局に勤務するテレビマンのお父さんがいる。記者だけでなく、カメラマンなども含めると、広い意味での『ご近所同業者』はけっこうな数になる。

市民は街の職業人でもある
 こういった様子から見えてくるのは地元のジャーナリストが地元の出来事を地元に新聞に執筆している姿だ。別の言い方をすれば、彼らは『公共の生活空間』に住みながら、この空間を仕事の対象にしている。そして『公共の言論空間』に記事を書いているのだ。

 ドイツの街は歴史的にみると完結したひとつの世界である。今もひとつの国のような完結性がある程度あり、そして独立性が高く、独自性を打ち出そうとする傾向がある。だから各部署の責任者は公務員といえども政治的立場をもち、『経済大臣』『文化大臣』『環境大臣』といった存在感がある。とりわけ市長は大統領といったところだ。それゆえ、ひとつの『国』に新聞があるのは当然だという認識もあるのだろう。

 かつて、法律の変更でテレビ局が地方でも開局しやすくなった時期があるが、この時も各地で放送局が次々と誕生したという。もっとも、放送局はある一定の経営規模が必要であるため、静かにブームを終えたそうだが、これも『国』にはテレビ局があってしかるべきという意識があったのではないかと思えてならない。そういえば、革命軍というのはまずテレビ局を占拠するものだ。メディアが国を形づくる実際の道具ということが暗黙の了解がそこにあるようにも思う。

 それから見逃せないのが、完結性の高い空間には一通りの職業があるという点だ。市民が職業人として街の中で働き、街を機能させていた。そういったことから、現在もどの会社に所属するかということよりも、どういった職業かということに個人のアイデンティティがおかれ、労動組合等、諸制度も職業別に分かれている。

 こういったことを背景に考えると、地元の新聞とそのための職業人がいることに違和感はないし、そして同じ職業の人間に対して強い連帯感を持つ傾向がある。たとえばドイツ語で、初めて会った人に対しては通常『あなた “Sie”(ジー)』という社交称を使う。しかし同業者同士では友人や家族に用いる『おまえ・あんた・君 “Du”(ドゥ)』という二人称である。冒頭の私を地元記者と間違えて話しかけてきたカメラマンとも初対面であるにもかかわらず『Du』で話している。

 さらにこんな体験もある。あるパーティでエアランゲンの顔見知りの老ジャーナリストがある人物に紹介してあげようと言ってくれた。私を紹介するときの第一声が『こちらは私の“職業仲間”で日本から来た・・・』だった。英語でいうところの Colleague(同僚) という言葉を使っているのだが妙に納得と感動をしたものだ。

 こうした歴史と私の体験を重ねあわせると、こんな言葉が浮かぶ。
 ドイツの街には『市民記者』はいらない。なぜなら『記者も市民だ』からだ。(つづく)
(2006年3月02日 高松 平藏)
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発  行  人 : 高松平藏 
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