インターローカル ニュース
Interlocal News 2006-09-27 (vol. 132)
─ 教育とアート
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【コラム】学校・幼稚園で文化プロジェクト

【連載】インターローカル・ジャーナリズムを考える(3) どんな言葉をつかっているのか
【編集後記】処理にいたるまでの時間

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【コラム】

学校・幼稚園で文化プロジェクト

エアランゲンの教育分野で関心高く


【ドイツ=エアランゲン】幼稚園や学校におけるカルチャー・プロジェクトに最近、関心が高まっているようだ。

 欧州では今もたくさんのサーカスが巡業しているが、2月にエアランゲンで公演を行ったのはロシアのサーカス『Der Grosse Russische Staatscircus』。ここで1日だけ子供たちがサーカスのアーティストとともに公演を行った。

 公演を行ったのは市内の『キンダーセンター・トミチール』の子供たち。同センターは幼稚園と学童保育を兼ねたようなところで2歳から10歳程度までの子供たちが通う。公演には子供たちの家族が多数訪れ、子供たちが通っている小学校も学校ぐるみで見に来た。公演は金曜日の午前中。普通なら客入りの悪い時間帯だが観客席は満員になった。

数年間の活動を集大成した。真ん中の黄色い衣装のピエロはサーカス団のアーティスト。

 同センターでは毎年、様々な演劇や器械体操などのカルチャー・プログラムを組んでいるが、ここ数年の集大成としてプロのサーカスとの公演を計画。いくつかのサーカスに打診したところ、このサーカスが快諾した。

『身体を使うところに意義がある』というシュミット-ボンダレヴァさん。
 公演のためには年齢と特技に応じた演目をつくった。火のついた縄を実際飛んだり、一輪車を華麗にのりこなすなどの演目には歓声がわいた。小さな子供による大勢のピエロが登場すると、会場には明るい笑い声が響いた。随所にプロのアーティストが加わり、舞台を確かなものにした。

 また保護者も多数協力した。中には市営劇場で働いている『お父さん』がいて、舞台監督として職能を発揮した。

 一方、同サーカスは以前からオランダで同様の試みは行っていたが、幼稚園児から小学生低学年程度の年齢の子供たちを受け入れたのははじめて。

 ディレクターのカーチャ・シュミット-ボンダレヴァさんは『最近はテレビゲームなどで遊ぶ子供が多い。そんな中、身体を使うサーカスをプロジェクトとすることには意義がある』と述べた。現在、幼稚園では教育的な方面からも分析を加えた記録を作成中だ。
※       ※
 7月に『プロジェクト週間−アート』を行ったのはミヒャエル・ポエシュケ小学校だ。

 一週間にわたり、保護者の協力をもとに校門をタイルやペンキを使ってカラフルに飾りつけたり、校庭にオブジェを作った。教室でも様々な工作を作ったり、外国語で名前を書いてみるといったことが行われた。エアランゲンの隣接するフュルト市からソーラーエネルギーのコンサルティングと啓発を行っている公益有限会社SOLIDのスタッフもかけつけ、ソーラーエネルギーを楽しみながら紹介した。

 最終日は保護者も招いてフェスティバルを開いた。ヒップホップ・ダンスを披露したり、保護者も交えて、音楽を演奏するシーンもあった。他方、草花を使ってアクセサリーを作ったり、泥を木、水でつくった道を目隠しをしながら歩くコースがつくられるなど、様々なプログラムが用意された。
小学校でのアートプロジェクトの一幕

■文化の対話イベントでもテーマに
 学校や幼稚園でのカルチャー・プログラムそのものは決して真新しいものではない。しかしこうしたプログラムになぜ関心が集まるのだろう。

 3月に『第4回 カルチャー・ダイアローグ』が行われた。これはエアランゲン市の『文化と余暇局』が毎年行っているもので、ひとつのテーマにそって終日、講演やシンポジウム、分科会などが行われる。市内の文化関係者や非営利法人、関心を持つ市民が毎回100−150人集まる。同市の人口から考えると、街の文化をかたち作っている人たちがほぼ全員集まると見ていいだろう。毎回白熱した議論などが行われ、いくつかの提案が具体的に文化行政に反映されている。

フォーラム 1
学校と幼稚園 へアーティストを
学校と幼稚園は「カルチャーセンター」への道?
フォーラム 2
学びの場としての文化の場
コーディネーターの仕事で何がおこっているのか
フォーラム 3
文化を学ぶ場としての家族と地域
(地域の中で)インターカルチャーと文化に学習に関して何が見えてくるか
フォーラム 4
非営利法人での文化的な学習
実践者とパートナーとしての非営利法人
 今年は『文化での学び』がテーマ。ドイツでも学力低下などを背景に学校教育のあり方が議論されているが、アートなどの文化プログラムを通じて、コミュニケーションや他人との協力関係を築いていくことに焦点をあてた。

 今回は教育分野のテーマでもあるため、実際にアートプロジェクトを行った学校の教諭や学校のプロジェクトに参加したアーティストなども参加。現場での問題点などを議論する一幕もあった。

 ちなみに分科会は表のようなテーマが設定された。

 なお類似の議論は近年、日本でもある。2001年にはNPO法人 芸術家と子どもたち (東京 理事長・堤康彦)が設立された。芸術家が小学校へ出かけ、先生と協力しながらワークショップ型の授業行う事業『エイジアス(ASIAS/Artist's Studio In A School )』を実施している。(了)

NPO法人 芸術家と子どもたち
http://www.children-art.net/





【連載】
インターローカル・ジャーナリズムを考える(3)
どんな言葉をつかっているのか


 
ジャーナリズムとは何かという議論が日本で盛んだ。インターネットやブログの台頭でジャーナリズムの具体化のための道具がすっかり変わったためである。今回はジャーナリズムの条件を言語から考えてみたい。(つづきはこちら






編集後記
処理にいたるまでの時間


◆教育とアートをどう考えるか。全体的にいえば軽視する向きが強いようですが、それに対して『アート擁護派(?)』は必要なムダという理論で挑むことがしばしば。私も基本的には賛成なのですが、必要なムダとはさて、どういうものなのか。少し考えてみましょう。

◆たとえば、何かモノを触っているうちに、こうすればどうか、ああすれば面白いかもしれないという発想力が触発されることがあります。その結果、実用的なものになることもあれば、『なんだかわからないけど面白い』『実用性はないが驚きがある』というようなものに発展することもあります。前者は発明、後者がアートということでしょうか。

◆現代社会は忙しすぎるといわれて久しいですが、ここでは『処理速度』が求められます。こういう現代社会の特性とアートを対比させるならば、アートは処理速度よりも、処理にいたるまでの時間に重点をおいたものといえるかもしれません。

◆『処理』とはすでに決まった手順、方法、技術を遂行するということであります。つまり『処理にいたるまでの時間』がなければ、新しい手順・方法・技術が生まれてこず、おおげさにいえば社会の思考停止に至るかもしれません。アートを教育現場へもってくることは、『処理にいたるまでの時間』を意識的につくりだすという意義があるのではないでしょうか。

◆この考え方を適用しているのがグローバル企業のシーメンス社かもしれません。同社には取締役会直轄に『アーツ・プログラム部』という部署があります。同部は音楽、ダンス、視覚芸術と様々な芸術活動を行います。いずれも現代的なものが多く、その核にはアートが持つ前衛性と企業のイノベーション力を重ねあわせたイメージを持たせています。同部署は一種のCI(コーポレート・アイデンティティ)の研究所のようなところと位置づけています。(高松 平藏)


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