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 第1回 2つの公共空間


インターローカルニュースの発行をはじめたのが 2000 年 12 月。私はインターローカル・ジャーナリズムという『イズム』を持ちながら発行を続けてきたが、ドイツでの体験も含めてその可能性についてお送りする。まずはドイツの地元紙と韓国のインターネット新聞『オーマイニュース』をみながらジャーナリズムを具体化するメディアの条件を考えてみたい。

■「オーマイニュース・ショック」
 ここ 2、3 年の日本を見ていて目につくのが『オーマイニュース・ショック』とでもいうものだ。

 オーマイニュースとは韓国のインターネット新聞。『すべての市民が記者』というスローガンをかかげ 4 万人以上の『市民記者』が執筆している。日本でも JanJan や livedoor ニュースなど同様の報道サイトができているが、オーマイニュースで特筆すべきは、2002年の大統領選で政権樹立に大きく影響したということだ。

 もちろん、オーマイニュースの華々しい展開には韓国の事情も勘案せねばならない。技術面では韓国は早くにブロードバンドが普及した国で、これはネットが道具として十分に機能した。

 政治と言論という面からいえば、朝鮮戦争を経て、軍事政権下で民主化と言論の自由に対する切望感が継続的にあり、オーマイニュースの登場には必然性があったといえる。実際、それを裏付けるかのように政治意識の高い 386 世代と呼ばれる世代が市民記者の大きな部分を占める。

 386 世代とは 1960 年代に生まれ、1980 年に学生運動を行い、1995 年ごろには 30 歳代になっていたという意味である。ちなみに民主化を求めて軍部隊と衝突した『光州事件』は1980年のできごとだ。

 いずれにせよ、韓国全体に影響を及ぼしたオーマイニュースは日本の新聞などのメディアにかかわる者やジャーナリストにとって鮮烈な印象を与えた。

■揺るがした 2 つの常識
 さて日本におけるオーマイニュース・ショックとは何かといえば、2 つの常識を揺るがしたことだと思う。

 まずは新聞がジャーナリズムを具体化する唯一のものであるという常識だ。われわれはジャーナリズムと新聞をワンセットにして考えることがままある。ジャーナリズムは権力の監視、社会正義、知る権利の行使といった言葉で定義付けられ、民主制を正常に機能させると役割を担っているとされる。

 実際、欧州の歴史を顧みると新聞がジャーナリズムを具体化し近代社会をつくってきた。しかもビジネスモデルとしても長年成り立ってきた。ところがオーマイニュースの登場でジャーナリズムの具体化に新聞以外のメディアでもできることを印象付けた。 

 2 番目の常識は公共の言論空間についての常識だ。ジャーナリズムとワンセットで考えられる新聞には、誰もが自分の意見が紙面で述べられる公共の言論空間であるという大前提がある。いうまでもなく、言論の自由は民主制の社会の基本である。しかしオーマイニュースは市民記者や記事に書き込まれる読者によるコメントというかたちで新たな公共の言論空間をつくった。そして、今回はこの2番目の常識に着目したい。

■市民記者と読者の手紙
 我が家が購読しているエアランゲン市の地元紙『エアランガー・ナッハリヒテン紙』を見てみよう。タブロイド版で月曜日から土曜日まで週 6 回発行。夕刊はない。定期購読の場合、毎朝届けてくれる。発行部数 3 万部。(エアランゲン市は 10 万人)。同紙も昨今、人々の新聞ばなれで経営的には苦労しているが、それにしても依然、わが街の新聞という存在感は確実にある。

 同紙を見ていておもしろいのは『読者の手紙』と題されたページがあることだ。日本の大手紙にも必ずあるが、たいてい十数行程度のものが紙面にひしめきあっている。ところが同紙の場合、一本あたりが一般記事と見まごう長さだ。そのテーマは紙面に掲載された記事に対するコメントや市内のできごとに対する議論、意見が多い。

 一方、市民記者といっても、実は事件に対する意見を執筆するようなケースも多いという。ならば、新聞に『読者の手紙』を寄稿する読者と『市民記者』とはどうちがうのだろうかという疑問がふとわいてくる。

 ともあれ、こういったドイツの地元紙紙面をみると新聞が公共の言論空間として機能しているのがわかるが、さらに気がつくことがある。この『公共の言論空間』での言論はエアランゲンに住む人がエアランゲンのことを中心に自由に述べているという点である。

 ドイツの街は歴史的に見ると完結した空間で、実際に城壁で囲まれていた。エアランゲンのお隣、ニュルンベルグは今も城壁が残っている。その閉じられた空間の中で政治や経済があり、文化や教育があった。

 つまり公共の生活空間とは、人々が働いたり、学校へ行ったりといったことも含めた生活空間なのである。ドイツのライフスタイルも近年かなり変わってきているとはいえ、まだまだ、職住近接というのが人々の生活の主流である。そして地元紙もまた街を構成するひとつとしてまだまだ健在といえるだろう。

■2 つの公共空間の一致
 ジャーナリズムという言葉を用いると、『社会正義』といった具合に『社会』という言葉が頻出し、時に勇ましく新聞の定義やジャーナリズムを造形しようとする。しかしもうすこし別の言葉で、社会とは『公共の生活空間』と考えると、新聞やジャーナリズムがこれまでどのような役割を果たしてきたかが案外すっきりと見えるのではないか。

 その上でもう一度オーマイニュースが何をなしえたかを見ると、市民記者とコメントを書き込む読者によって、『公共の言論空間』と『公共の生活空間(=国土)』がうまくダブったということではないだろうか。これはむしろジャーナリズムが変化したのではなくメディアの変化によって起こりえた。

 もちろん、市民記者にはある種の志といおうか、もう一歩踏み込んだ意思や期待がある。制度的にもオーマイニュースで市民記者になる場合は記者規約と記者倫理綱領を守ることに同意しなければならず 、livedoor ニュースの市民記者の場合は一定の訓練を受けている。したがって地元紙に『読者の手紙』を寄稿する読者とは少し異なる。

 この違いが今後どう変化していくかは別で論じなければならないが、それにしても私が住まいする地元の新聞を手にとりながら、遠目でオーマイニュースを見ると、言論と生活という 2 つの公共空間が重なっているかどうかということがジャーナリズムを具体化するメディアにとって重要なのだと思う。(つづく)
(2006年2月15日 高松 平藏)
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発      行 : インターローカルジャーナル
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発  行  人 : 高松平藏 
発  行  日 : 不定期

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