2007-09-18 (vol. 140)
 ─ 文化報道とフェスティバル
□□ 目次 □□
【ニュース】『詩人の祭典』開催 大きい、地元メディアの応援

【連 載】文化フェスティバルと地元紙
【編集後記】新聞が文化をもりたてる
【読者コメント】文化芸術振興基本法に反しているのでは?

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【ニュース】
『詩人の祭典』開催 
大きい、地元メディアの応援

にぎわうメイン会場の宮殿庭園
【エアランゲン】文学フェスティバル『Poetenfest(詩人の祭典)』が先月23日から26日にかけて開催された。

同フェスティバルは毎年8月末に行われるもので、エアランゲンの夏の終わりを盛り上げる。今回は27回目を数え、期間中は展覧会、シンポジウム、音楽演奏など多くのプログラムが用意される。今回は約80人の著述家・作家・出版関係者が招聘された。

各プログラムは市営劇場やギャラリーなどで行われるが、もっとも特徴的なのが市街にある宮殿庭園が会場になることだ。この庭園は280m×550mのバロック式の庭園で普段は市民の憩い場になっている。庭園には仮設の舞台がつくられ、簡易式のベンチとテーブルが並ぶ。ビールやコーヒーなどの飲み物や食べ物も買えるため、ジョッキー片手に仮設舞台での作家たちの話に耳を傾ける人の姿が数多く見られる。まさに『文学ピクニック』(地元紙)だ。

親子で絵本が楽しめる
『長くつ下のピッピ』のサーカス小屋を模した展覧会場
作家と直接話せるのも魅力だ。
ほかにも庭園内では本の即売コーナーや小ぶりのシンポジウム会場、親子で絵本を楽しめるコーナーなどが用意される。また、今年は『長くつ下のピッピ』などの児童文学作品を書いたアストリッド・リンドグレーン(1907−2002)の生誕100周年にあたる。それにあわせて『ピッピ』の物語に出てくるサーカス小屋を模した展覧会場が設営され、リンドグレーンの写真などの展示が行われた。

フェスティバルでは毎年文学を切り口に社会的・政治的問題をとりあげるのも特徴。2005年にはレナテ・シュミット連邦家族相(当時)と作家たちが、家族のあり方テーマにしたシンポジウムを行ったことがあった。今年は『旧東ドイツにおける抵抗芸術』『コーランの翻訳はどうするか』といったテーマの展覧会やシンポジウムが目玉になった。

地元紙も盛り上げる
文化フェスティバルは街の文化インフラの一端を担うとともに、街のイメージを特徴づける。またエアランゲン市は人口規模10万人の自治体だが『詩人の祭典』は全国紙にも紹介され、『文学の街』としての存在感を発信するかたちだ。

こういった文化的特長を市内で増幅・共有化させているのが地元紙だ。発行部数約3万部の『エアランガー・ナハリヒテン』紙ではフェスティバル開催1ヶ月前から終了後2週間にかけて、広告なども含む69件の関連情報が同紙掲載されたが、そのうち51本が記事である。記事には写真やフェスティバルのロゴが掲載されるものも多く、地元のメディアも文化フェスティバルを盛り上げているのがうかがえる。

フェスティバルの訪問者数は1万2000人。レストランやホテルの利用者も増えることから、経済効果ももたらしている。(了)



【連載】
インターローカル・ジャーナリズムを考える(5)
文化フェスティバルと地元紙

このほどエアランゲンで行われた文化フェスティバル『詩人の祭典』に関して、地元紙はかなりとりあげている。どういったかたちで新聞に掲載されているのかを数量的に見てみたい。(続きはこちら




【編集後記】
地方新聞は地方文化の応援団


◆ドイツの自治体の文化が充実しているのは、文化の主役は地方にある、というドイツの制度が大きいためです。文化はドイツの地方分権のあり方がよく見える分野です。

◆それにしても、制度だけでは街の文化は盛り上がらないものです。かならず応援団がいるはず。以前から私は地元紙が大きな応援団になっているのではないかという印象を持っていました。今回数量的に調べてみたところ、地元紙の文化報道の量の多さが見えてきました。(詳しくは『インターローカル・ジャーナリズムを考える(5)』をご覧ください)


【読者コメント】文化芸術振興基本法に反しているのでは?

前回のインタローカルニュースで触れました、大阪市とフェスティバルゲートの問題について。次のようなコメントをいただきました。

文化芸術振興基本法に反しているのでは?
(大澤寅雄 36歳 横浜市)
フェスティバルゲートの件は施設を拠点にするアートNPOと大阪市の問題として完結しているものではなく、まさに自治体運営と文化の問題だと思います。
そして見方によっては文化芸術振興基本法に反している、ともいえるのではないでしょうか。逆に言えば、それくらいに文化に関する『法』も、少なくとも現時点では飾り』でしかなかいことが、明らかになっているということだと思います。


文化が飾りとしてしか扱われていない、という状態を『病』とするならば、それは明治以降、先人が『近代国家にとっての文化』をどう咀嚼してきたのか、というところから考えなければならない問題かもしれません。大澤寅雄さん、コメントありがとうございました。(高松 平藏)

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発      行 : インターローカルジャーナル
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発  行  人 : 高松平藏 
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