ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2012年01月12日



武道必修化に伴う日本の報道について


この4月から中学校で武道・ダンスの必修化に伴い、柔道を取り入れるところが多い。それにあわせて柔道事故に関する報道が増えているようだ。大手メディアによる報道は一気に加熱する傾向が強いので『柔道は危険すぎる』という評価が定着するのではないかと危惧している。

柔道は危険だ!?
1月11日付けの記事で、静岡県のある柔道部顧問の教諭が業務過失事故で中1の男子生徒を死亡させ、そして送検されたと報じられた。

この報道はひじょうに短い記事で、おそらく警察発表を元に書かれたものだろう。それに、紙面に掲載することを前提にしているので、たとえきちんと取材をしていたとしても多くは書けまい。

しかしながら、武道必修化スタートというのは旬の話題で、それに付随する問題点を報じるべきだという編集方針はジャーナリズムの性質上、どうしても出てくる。

実際、問題点を指摘するのは、大切なことだ。しかし、今日の大手メディアの様子からいえば、『問題点の指摘』がいつのまにか魔女狩りのごとく、『悪人指導者さがし』に傾注する可能性がある。このところの柔道の報道からいえば、この教諭も『悪人指導者である』と見る読者が多いのではないだろうか。

健全性が必要
この報道に対して、『こんなむちゃくちゃな!』とネット上で異議を唱えたのがAさんだ。

Aさんは教諭の友人で、指導者としての活動ぶりを知っている。教諭はふだんから生徒のメディカルチェックを丁寧に行い、生徒思いで、無理な練習をさせるようなこともなく、また医師の診察を受けさせていた。細心の注意を払ったうえで事故がおきたという。

昨今、明らかになっている柔道事故は、指導者が生徒に無茶をするなど、生徒に対する武道家としての敬意(広い意味で倫理観)や医療知識が欠如した、いわゆる『柔道バカ』のような人物であることが原因になっていることも多いと聞いたことがあるが、この教諭はこういう人物像とは程遠い。亡くなった生徒やその家族には不幸ごとに違いないし、悲しむべき出来事だが、Aさんの話が事実ならば、生徒の死亡は不可抗力だ。

本来なら、大手メディアはきちんとした取材をすることに加え、長期的には専門記者を養成する方向性が望ましいのだが、日本の新聞社の人事システムでは専門記者は育ちにくい。ドイツにいると、各分野で白髪・禿頭の現役専門記者がたくさんいる。専門性が専門バカに劣化してしまうとこれもまた問題だが、専門記者であるからこそ、バランスよく、長期的な視野から目の前の事象を捉えることができると思う。

そんな現状を考えると、メディアの受け手(読者・視聴者)が『マスゴミ』『マスコミ不信』と切り捨てたり、不信感を強めるのもわかるが、むしろ報道を相対化して読み解くリテラシーを身につけるべきだろうと思う。いささか皮肉な言い方をすると、マスメディアは人々が潜在的にほしがっている言葉や文脈を打ち出すような一面もあると思うし、『その国の報道の質は読者の質』と考えることもできる。

ただ、インターネットが普及した今日、Aさんのように報道で不足している情報、異議を広く発信できるのはまだ救いだと思う。また、私がこのように自分の考えを公開できるのも同様である。

着目すべきは学校柔道の構造
やや冗長になるが、ついでながら、この記事の背景である柔道と学校についての私見を述べておきたい。

名古屋大学大学院教育発達科学研究科 准教授の内田 良さんの調査によると、1983-2010年度に発生した死亡事故は114件。柔道事故は多い。多すぎる。

事故の現場は『授業』というよりも、校内の部活でおこっているようだ。
部活柔道は『競技』を目的にするところが多いときく。その是非やあり方の議論は横におくが、スポーツや武道では程度の差こそあれ怪我は発生する。試合に勝つことが目的の練習となると、そのリスクはさらに増える。これは理解しておくべきだろう。

着目しなければならないのは致死や植物状態に至るものが多すぎるという点だ。多すぎるというのは、構造的な欠陥が潜んでいるということなのだ。そこを解明し、修復しなければいけない。

具体的には、『柔道バカ』のような人物でも指導者になれる柔道界・学校の仕組みや、組織としての部活に問題があるのではないか。私自身は部活柔道の事故はドイツと対比したときに、日本社会の特徴がかなり反映されているのではないかと考えている

『授業柔道』で見えてくるもの
一方、武道必修化によって見えてくるものもある。
必修化とはすなわち授業で行うことである。授業での柔道の目的は試合ではない。

柔道は『競技』『健康』『余暇』『教育』など様々な側面をもつが、競技を第一としない指導に関して、人材やノウハウ、知的営為にといったものが日本にどのぐらい蓄積があるのだろう。聖泉大学教授の有山篤利さんは武道必修化にともない、柔道で何を教えるかということを検討すべきだという問題提起をされているが、ことさら重要な視点だ。

私は、数年前に健康のためにドイツで柔道をはじめたクチだが、柔道が持つ面白さ、可能性の大きさに気づき、そして知的興味がおおいに喚起されるものだと解った。それゆえに柔道を教育の現場に導入に反対する理由はない。

ただ、すでに数多く指摘されているように学校現場では指導内容と指導者の質・量は喫緊の課題だ。また、根幹的な部分からいえば、公教育の現場に入るということは国家の教育政策のコンセプトと関わってくる部分であり、継続的に自由で多様な議論を積み重ねていく必要がある。これは日本国家にとっても『柔道』にとっても本当に重要な部分だと思う。

翻って、最近の『危険な柔道』の報道は、指導者の側のみならず、親の側も不安が募っている。報道の健全性の確保とメディアの受け手のリテラシーの向上を願ってやまない。(了)



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