ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2011年4月15日



やりにくいなあ─モデルの喪失


日頃、親の立場で子供に伝えたい価値観や人間像がある。『男らしく』『女らしく』と言う言葉はそれらを示すのに重宝する言い方だった。しかしこの言葉、21世紀の現代社会では甚だ使いにくい。

性別が消えた
日本を離れていてもインターネットの時代である。日本の出来事はよくわかる。それでも時々『浦島太郎』状態になるのが言葉だ。たとえば看護婦という言葉は看護師になり、スチュワーデスは客室乗務員、保母さんは保育士、助産婦も助産師となったが、ドイツにいると日常的に耳にしたり使ったりしないので、いまだにピンとこない。

余談ながら、そもそも私は助産婦よりも産婆さんという言葉のほうが好きだ。生命の誕生をつかさどる魔法使いの婆さんのようなイメージ持っているからだ。しかし、『助産婦』からさらに『助産師』に変えられた今日では死語。『産婆さん、サンバ踊ってやってくる!』などとダジャレを放っても、バカにされたりする以前に理解されない。

いずれにせよ、男女平等というコンセプトに沿うべく、言葉上の性別が近年消されてきている。それと同様に、男らしさ、女らしさという言葉も使い方が難しい。

私は1969年生まれだが、子供のころ、『男らしさ』『女らしさ』はまだまだ日常的に使われた。しかしフェミニズムの台頭(?)などのあおりで、次第に日常語としては好ましくない言葉となってしまった。

人間像や価値観を示す言葉
しかしながら親の立場になると、日常生活でふっと用いたくなる『男らしさ』とか『女らしさ』もある。これは、たいてい好ましい人間像や有用な価値観を表現するのが目的であることが多い。

どういうものかというと、『男らしくしなさい』は、卑怯なことをせず、自主性があり、弱い人を助け勇気がある。『女らしく』は、おだやかさ、細やかさ、清潔といった具合だ。

異論もあるかもしれないが、おおよそそんなことを男らしさ、女らしさという言葉にふりわけているといえるだろう。

子供にこういった価値観を『男らしく』『女らしく』の2種類にまとめて言えると、たいへん楽なのだが、私自身、たとえば男らしさを強調しすぎるとマッチョなイメージが過ぎて好感がもてず、子供に『男らしくしろ』『女らしくしろ』と言うのはどうも憚れる。

代わりの言葉
そこで、考えるのが『男らしさ』『女らしさ』に代わって使える言葉だ。

たとえば数年前に子供たちと柔道をはじめたが、子供たちのモチベーションが高い時は『柔道家らしくシャキっとしなさい』という言い方も有用だった。柔道には『自他共栄』『精力善用』といった哲学があるし、性別の概念がないからなお使い勝手がよかった。だが、最近は関心が薄くなって『柔道家じゃないもん』と言われるとそれでおしまい。

サムライとか『もののふ』などというのもよいが、娘に『女サムライらしく』というのもへんだ。益荒男(ますらお)とか手弱女(たおやめ)というのもいいかもしれないが、男らしさとか女らしさの言い換えになってしまう。それに、これでは子供たちが日本で人と会話するときには使えないだろう。

『かっこいい』『イカす』といった意味で使う『クール』という言い方があるが、これはドイツでも数年前に子供たちのあいだで広がった。これを利用して『(勇気をもって、堂々と)クールにきめろ』という言い方をすることもあるのだが、伝えたい人間像や価値観を表現するには少し物足りない。

抽象化とリバイバル
昨年、日本に一時帰国したときに面白いなと思ったことがある。電車に乗っていたときに耳に入ってきた女子高生たちの会話だ。

『私、(同級生の男子生徒から)男と見込んで頼みがあるといって相談された』といってカラカラっと明るい笑い声がした。チラっとその女子高生を見ると、確かに元気で闊達そうなお嬢さんだったが、性別が抽象化され、単純に人間像や価値観を表す言葉として使われているんだなあと思った。そういえば、ネットを渉猟すると『男前女子』などという言い方も散見される。

それにしても、現代のわれわれは、『男らしさ』『女らしさ』を忌避した結果、日常的にポンとひとことで子供に有用な価値観とか人間像を示す言葉をひとつ失ったのかもしれない。

この女子高生の『男らしさ』『女らしさ』も性別が抽象化されつつも使われているのは、それにかわる言葉がないからだろう。ともあれ、この問題、まだまだ悩まされそうである。(了)


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