ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2011年4月18日



失われた日本、20年のバランスシート


『失われた20年』という常套句があるが、この20年、負の部分ばかりではないはずだ。

何を失ったのか
『失われた20年』というと、さすがに長いと思う。ドイツで30年戦争(1628〜48)というものがあったが、それと拮抗する歴史的長さだ。

ただ、この20年、ひそかに蓄積されているものもあるはずだ。私たちは冷静に負の部分を見る必要はあるが、同時に変化してきているものを見出すことも大切だと思う。

『失われた20年』で何が失われたかというと、経済成長や日本のプレゼンスなど色々あるが、もっとも大きなものは、所与のものと思われていた根底の部分の信用を失ったということではないだろうか。

たとえば、政府(お上)に対しては今も昔もモノ申す人はいたが、今よりも信頼を寄せていた人が多かったように思う。ネットが出現する以前は新聞・テレビの情報は圧倒的な信頼感、というか情報の供給者として圧倒的な優位性を持っていた。会社は終身雇用制で、今から思うと公務員にかなり近い職場だった。さらに、もうひとつ加えると、かつては失業や介護が必要になると、親戚や故郷のツテなどを頼ってうまくカバーしていた。しかし、今日はかつてほど血縁・地縁がセーフティネットとして機能していない。

これらのものは、日本で住む場合の信頼性となっていた。『信用のインフラ』といっていいだろう。別の言い方をすれば、今日明るい未来が描きにくいのも『信用のインフラ』が脆弱になっているからではないか。

進んだ、社会の地力の再構築の議論
一方、その裏返しで、文化政策、企業の社会的責任、公共性の問題、ジャーナリズムなど、社会の地力を問うような議論もこの20年で相当進んだと思う。

そして、これらの議論が現象として表に出てくることが時々ある。最近のケースでいえば『タイガーマスク現象』が代表格だ。ご存知のように、これはタイガーマスクという架空のアニメのキャラクター名で寄付をする行為だったが、公共性や富の再分配といった課題を突き付ける出来事だった。

ドイツからネットを見ていると、『無縁社会』というキーワードもよく目につく。どうやらNHKが大々的に放送したのが原因のようだが、私の理解でいうと、これまで地縁・血縁によって安定性を保っていた社会が機能しなくなっているのだろうと思う。その予兆は以前からいろいろとあった。たとえば介護保険などの登場は家族という血縁では支えきれなくなったことが背景にある。いうなれば、地縁・血縁にかわる人間のつながりを必要としていることである。

社会の紐帯の変遷
そもそも地縁・血縁はうっとおしい面も多い。そのわかりやすく突出した例は疑似血縁でつながった任侠の世界がそうで、義理と人情の中で煩悶する姿をかつて高倉健さんがかっこよく見せてくれた。しかし、実際にあの立場に置かれたら、なかなか大変である。

一方、日本ではアメリカ経由の個人主義も随分と浸透した。その背景はいろいろ考えられるが、『地縁・血縁主義』に対するアンチテーゼとして広がった面もあるのではないかと私は考えている。

ところがこの20年で気がつけば、セーフティネットや福祉を担っていた地縁・血縁が機能しなくなってきた。同時に勝手きままな個人主義にそろそろうんざりしてきた。だからこそ、赤の他人どうしがどう関係をもつべきかという課題が出てきたともいえる。

そんな中、1998年にNPO法が成立した。NPOは血縁でも地縁でもない、同じ意志を持つ他人が一緒になって公益につながる活動を行う制度のひとつである。このような法律が成立したということは『負』どころか、この失われた20年の中で評価すべき展開だ。さらに鳩山政権の時に出てきた公共性の議論がでてくるが、この議論はNPOの本質を支える部分をかなり強くするはずだ。

さらにいうならば、地縁・血縁でつながっているような我々の人間関係の世界を故・阿部勤也さんは『世間』と位置付け、西欧の『社会』と対比しながら論じた。この『世間』、戦後をみるだけでも相当変遷しているはずだ。この変遷を検証することも大切だと思う。

われわれはどんな価値観を大切にしているのか
以上のようなことを考えると、この20年で出てきた負の部分と、潜在的にどのような可能性がでてきているのか。そんなビランツ(貸借対照表)を考えてみるべきではないかと思う。

さらに、付け加えるならば、可能性としてみてとれる議論の中で、実はどういう価値観を大切にしたいと考えているのかを取り出して、よく見る必要がある。法律やシステムなどは実は共有されている価値観や文化が反映されていることが多いが、換言してみれば、どのような価値観や文化を大切にしてきたか、またはどのように変遷してきているのか、ということを把握することで、議論の本質に踏み込めるのではないだろうか。

最後にこのたび地震は、国難ともいえる事態にまで陥った。復興には途方もない年月と費用が必要であり、実効性と将来のビジョンを兼ね備えたような計画を練っていかねばならない。ただ、地震がおこってからの経緯をみると、様々な批判や課題もでているが、一方でこの20年で蓄積されてきたものがかなり機能しているように思う。


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