ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2010年5月3日



教会のレセプション

近所の教会の年次レセプションに参加した。教会がどのように地域の公共施設としてどのように運営されているのか垣間見えた。


ご招待
飲食が教区の人々の紐帯を強めていく
近所の教会からレセプションの招待状をもらった。実は昨年も招待してもらったのだが、所用で参加できず。今年も取材がはいっていたため夜7時のスタートには間に合わなかったが1時間ほど遅れて参加した。

私の住むところは、この教会の教区からは少し外れるのだが、わが家の子供たちが通う幼稚園の経営母体である。この幼稚園は、日本でいうところの学童保育のようなこともやっているため、子供たちは小学生校になってからも昼から2時間ほど世話になっている。

レセプションに招待されるのは、教会の事務で働いている人や、教会行事などでボランティアとして手伝っている人、それから幼稚園の園長や数人の先生、研修生、PTAといった人たちだ。

私はというと、幼稚園の行事があるたびに写真撮影を手伝ったり、牧師さんに頼まれて、教会の写真を撮ったこともある。おかげで、教会が発行する機関誌には、私の写真もたまに使われていたりする。そんなことがあるので、招待されたのであろう。

食べて、飲んで、話す
途中から会場の『教区ホール』に入っていくと、ちょうど食事がはじまる前だった。サラダやチーズ、ソーセージなどが並んだところに、人々はお皿をもって、集まっていた。その一角にレバーケーゼがおいてあった。レバーケーゼとはドイツ風ミートローフだが、お皿を持って並んでいる招待客に切り分けていたのが、エプロンをつけた牧師さんだった。その隣には牧師さんの夫人がいて、ミートローフを切り分けながら、夫妻はひとことふたこと招待客に声をかけていた。

そんな最中に私が駆け込んできたわけだが、私に気付いた牧師夫妻が、手をとめ、『やあ、よく来てくださいました』と握手し、挨拶をした。

さて、テーブルについている人たちはというと、やはり、どちらかといえば平均年齢が高い。しかし若い人も思いのほかもいるし、男女比は半々程度。人数はテーブルの数から考えると、130‐140人程度か。

日本の宴会というと、たいてい2時間程度の1次会があって、会場が変わって2次会、3次会と進むが、ドイツのパーティというと、延々と同じ場所でやる。帰りたければ、好きに帰っていくというスタイルだ。

私は11時ごろ抜けたのだが、事情があって午前1時ごろ教会の近くを通った。すると、道端で牧師夫妻と数人が立ち話をしていた。一般に、『では、さようなら』と挨拶してから半時間ほど話が続くことがよくあるが、半時間ではすまなかったらしい。


中世から続く飲食文化?
ところで、このレセプションを見ていると、『ドイツ的なもの』を感じとれて、興味深かった。

まずは、キリスト教の社会的存在や影響力についてだ。もちろん時代によって移り変わりがあるが、それにしても日本の仏教とはかなり様子が異なる。

教会は地域の文化施設やコミュニケーション施設といった公共的役割を持っているのだが、それに協力している人たちが一同に集まる機会になっていたことである。こういう集まりによって、地域での教会の役割を強めることになる。

それから、大切なのは一緒に飲み食いすることだ。中世の時代から飲食をともにすることは非常に重要で、職業別の組合では飲食により紐帯を強めた。それらは、19世紀に続々とできたスポーツ・フェラインなどにも引き継がれているように思える。

フェラインとは今の日本の感覚でいえばNPOだが、協会やクラブと普通訳される。同好の士が身分や宗教を越えて共通の目的で集まるわけで、これが近代市民の礎になった。数あるフェラインのなかでも最も多いのがスポーツ関係のものだが、飲食をともにする文化は今も健在だ。

教会のレセプションもそんな中世から連綿と続く飲食によって教区の人々の紐帯を強めていく行為に見えた。牧師さんが食べ物を切り分けるといった行為などは、いかにも象徴的に見える。

一方、日本でこういった『宴会』になると、いきなり地縁型の集まりになりやすい。ネット上に140文字の短文を投稿する『ツイッター』で應典院の秋田光彦さんが自らの体験をひきながら地縁型の会合の特徴をうまく書かれていた。それは<顔役のボスがひとり自慢げに喋り、おばさんが追従し、若手は黙して語らない>というものだった。

ひるがえって教会のレセプションというとまさに地縁型の組織の集まりで、個々の会話では愚痴のようなレベルの話もたくさんある。しかし日本の地縁型会合のような様子とは程遠い。

いずれにせよ、キリスト教や教会のあり方についてはドイツで常に議論があるが、現実の居住エリアでの教会の公共的機能がどのように運営されているかを垣間見た夜だった。(了)


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