ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2009年12月27日



勘違いの『社会貢献』


CSR(企業の社会的責任)の議論が盛んになって久しいが、その活動で違和感を覚えるのが社員が行うボランティア活動だ。ドイツとの比較をしながら、見解と提案を述べておきたい。

社員にボランティアをさせてどうする
一時帰国すると、研究会や大学などで講演のお話をいただく。昨年に帰国した時は何度かCSR(企業の社会的責任)について話をさせていただいた。

あらかた予想はついていたが、講演を通して確認したことは、社員によるボランティアが具体的なCSRの活動のひとつとして考えている人が少なからずいたことだ。

社員によるボランティア活動は一部の企業でずいぶん前から行なわれていたが、私は常に違和感を覚えていた。特に地域貢献というお題目がつくと、ますます奇妙に思えた。

たとえば私も20代のときに、何年か会社勤めをしたことがあった。通勤時間はドアトゥドアでだいたい片道1時間半。残業も日常的にあったので一日のほとんどを会社で過ごし、自分が住む地元は寝に帰るだけだった。

仮に私が勤務していた会社が、『地域貢献のために、会社近くの公園の掃除をするので土曜日に出てきてください』などということがあったとしよう。私は住んでいる拠点での活動時間があきらかに削られることになる。当時は独身だったが、これが今のように自分の家族がいれば、家族との時間をも削られることになる。

『あくまでも有志ですが』という条件付きであれば、まだよいが、社内の人間関係や社内の雰囲気によっては、半ば強制のようなかたちになることもあるかもしれない。こういう職場だと、ボランティアとは事実上のタダ働きだ。

ドイツのボランティア
ドイツで取材活動をし、片や日本の社員ボランティアに関するレポートなどを読んでいると、この違和感がますます強くなった。

ドイツ企業は地元への貢献をかなり行っているが、社員に対して雇用時の契約以外の、しかもタダの仕事をさせることはまずない。

では何をしているのかというと、地元の非営利組織や社会福祉への寄付や文化関係のプロジェクトなどにスポンサリングを行っている。

ドイツで非営利組織の歴史はかなり古く、日本との比較でいえば150年ぐらいの差がある。したがって、社会の中での存在感もきちんとあり、数も種類も膨大だ。たとえばサッカーやハンドボールをはじめ、非営利組織のスポーツクラブがかなりあるが、こういうところへ企業や地元銀行が寄付するわけである。

そして非営利組織にかかわっている人は、ボランティアが圧倒的に多い。つまり自分のプライベートの『可処分時間』を自由意思で使っているのだ。しかも活動内容も自分で選択しているかたちだ。

企業の継続性のためのコスト
日本とドイツのこの違いを見たときに、はっきりといえることは、仕事と個人の時間がかなり切り分けられていることだ。おまけに、職住近接で労働時間も短いので、実質の可処分時間が多い。

仕事と個人の時間の切り分けがはっきりしているドイツは、単純化していえば、仕事の内容と時間がかっちり決まっていて、社員はそれこそ機械の部品のような捉えられている。そのため企業にとって、会社のアイデンティティやチームとして社員をどうまとめるか、という点で難しい面もないわけではない。

それにしても、ほとんどの社員たちは『地元の住民』で、彼らは自分の可処分所得をボランティアに使う。人間、自由意思で何かに取り組むということは、元気になるものである。

内容も清掃などの『善行』を行うのではない。たとえば、教会や非営利組織などで行われるパーティにケーキを焼いていくのも立派な『ボランティア』だ。文化活動の催しの企画・運営をする人もいるし、スポーツクラブなどであれば、トレーナーとして継続的に活動している人も多い。

ここで、もう一度いうが、企業はあくまでも地元社会のボランティアの枠組に対して支援するのである。理屈でいえば、それによって、ボランティアが盛んになり、地域社会の多様なコミュニケーションや人々の関係ができる。そういう地域は社会的安定性と活動的な状態が同時に維持される。

一方企業にとって、動的な雰囲気のいい街に立脚できるわけであり、社員(=住民)も、ボランティアなどを通じて元気になって会社へやってくるわけである。

このへんの理屈は経営者たちも理解している、というよりも常識と化していて、たいてい『地元に対するお返し』『地元の生活の質を高めるため』と口をそろえる。言い換えるならば、立脚する地元の『社会』を整備することで、はじめて企業の継続的経営が可能な条件が整うという考えかたがあるのだろう。経営的な言い方をすれば、社会貢献というのは企業の持続可能性コストということだ。

循環性ビジョン
今、日本でもNPOがかなり増えてきている。ただドイツと比較したときに、相当厳しい環境にあるように思える。

たとえば、可処分時間が少ないために、ボランティアで関わる人は、相当強い意思で行っているのではないだろうか。つまり体力的にも精神的にも無理が生じやすく、半ば何かに対して闘いを挑むような、そんな状態の人も少なくないのではないだろうか。

これに対して、企業側はNPOをもっと応援してみてはどうだろうか。応援の方法は大きくふたつの方面からできると思う。

まずは社員の可処分時間を増やすことだ。

具体的には休暇を取りやすくするのもひとつの方法だ。以前、ボランティア休暇などという名称の休暇をとりいれるところもあったが、実態はお寒い限りだ。おまけに、ボランティアとは災害の救助活動などの『善行』が暗に前提になっている印象がある。そのせいか、会社によっては報告義務があるとも聞く。

また、できるだけ通勤時間30分圏内の人を雇用してみてはどうだろうか。つまり『地元社員』を増やすことだ。その際、行政や国は地元社員比率に応じてなんらかの補助や減税を行うと、企業にとってもインセンティブになるのではないか。

そして、NPOに対してもっとスポンサリングや寄付をすることである。

これによって、NPOの活動環境をよくできるだろう。その際、寄付に関する税制も整備する必要がある。一方、NPO自身が、地域を動的にする役割があることをアピールするべきであるし、ノウハウや人材、経営基盤を継続的に向上させ、社会的価値を高める努力はより大切になる。

もっとも、急にはうまくはいかないだろう。
ましてや、この10数年、日本では『不況』『不景気』が合言葉のようになっている。社員に休暇をたくさんとってもらおうなどと考える経営者は少ない。

ただ、日本の現状は経済的にも社会的にも再構築が必要な状態だ。実際、NPOが増えるなど、『役者』はそろっている。そこへ企業の応援も欲しいところだ。

企業にとっても社員の可処分時間を増やすと、短期的には経営にひびくことが出てくるだろう。が、もう少し広く考えてほしい。可処分時間が増えた社員の多くは必ず、元気になってくる。結果的に会社の仕事に対して創造的に取り組む人が増えるだろう。そして『燃え尽き症候群』や『過労死』などという言葉は死語になるだろう。

つまり、NPO、企業、社員(住民)の相互の良好な循環性をもった関係を作ることが肝要で、これが今、日本の社会に必要なビジョンだと私は考えている。(了)


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