ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2009年11月10日



ドイツ式解釈、『柔道の価値』


柔道は世界に広がる日本武道のひとつであるが、ドイツでも盛んに行われている。ドイツ柔道連盟が作成している『柔道の価値』というポスターがあるが、『なかなかいいぞ』と思えるので、これについて少し書いておきたい。

道場のポスター
ドイツの柔道場の壁に貼られたポスター、『柔道の価値』
柔道は嘉納治五郎によって確立された武道で、『精力善用』と『自他共栄』という哲学がある。簡単にいえば、前者は自分の心身の持つすべての力を社会のために善い方向に最大限に生かす、ということである。後者は相手に対して敬意と感謝の気持ちを持ち、信頼しあって助け合う。それによって自分だけではなく他人とともに栄える。といった意味である。

これらの哲学は私が通う柔道場でもアルファベットで書いた紙が張ってある。一応、小さな文字でドイツ語で意味も書いてあるのだが、それにしてもSeiryoku-Zenyoなどと、読んだところで、呪文のようなものである。

その代わりというわけではないだろうが、ドイツ柔道連盟が作成した『柔道の価値』というポスターも張ってある。10項目にわたって書かれたもので、翻訳すると以下のような内容だ。

礼 儀 練習や試合の相手を友達と同じように扱うこと。柔道を練習する人に対してきちんとした礼で敬意を示す。
親 切 パートナーが技をきちんと勉強することを手伝うこと。いいウケ(練習のときに技を受ける側)になり先輩として初心者を手伝う。また、新しい人がグループに入れるように手伝うこと。
誠 実 フェアに、スポーツマンシップに反することなく、底意のない戦いをすること。
精 進
(まじめであること)
練習と試合で集中して、戦うことにも集中する。練習に対して積極的であること。そして一生懸命に練習する。
尊 敬 先生と先輩を尊敬し、あなたよりもっと長く柔道をやっている人の成果を認めること。
謙 虚 自分がいつも前に出ないこと。自分の成功について大げさに話さず、自分よりレベルの高い人を見本にしてください。
尊 重 他人が自分の能力に応じてまじめにやった人の成果を認めること。
勇 気 乱取と試合で勇気をもって、負けることがあってもあるいは相手が強すぎても、あきらめないこと。
自 制 心 練習と試合のとき、時間通りに来る。規律を守る。自分が不公平だと思う状況であっても、道場のマットの上で自制をなくさないこと。
友 情 以上の価値観と人間を尊敬すること。それで必ず友達ができる。

日本人のメンタリティもずいぶん変わってきているようだが、それにしても『人より前に出ようとする』『文句をすぐに云う』といった傾向はドイツのほうが強いと思う。それを考えると、この10の『柔道の価値』はドイツの人にとってある種の理想的な価値観を提供しているといえるだろう。

柔道への期待
実はこのポスター、イラストがふんだんに使われており、子供や青少年を意識したようなデザインになっている。

日本語のサイトを検索していると、ドイツの柔道人口は35万人という数字が出てくる。おそらく2008年5月5日に放送されたNHKの番組『JUDOを学べ〜日本柔道金メダルへの苦闘〜』がコピーされているのだと思う。

この数字がどこからきたのかわからないが、ドイツの連邦統計局の統計を調べると約18万5000人という数字がある。これはドイツ柔道連盟による登録データが元になっているようだから、『登録人口』ということだろう。どちらが実態に近いのかは判断しかねるが、とにかく人口8500万人の国に柔道人口がそれなりにいるということである。ちなみに『登録人口』の統計でいえば、柔道はドイツで20番目に多い『スポーツ』である。

興味深いのが柔道人口の7割が7歳から19歳のあいだの年齢層で占めていることだろう。

この数字は実感できる。私が住むエアランゲン市は人口10万人だが、子供たちと一緒に通っている市内のスポーツクラブの柔道コースだけでも400人程度いる。ほかのスポーツクラブでも柔道のコースを設けているところがあるので、まだまだ柔道をしている人がいるということになる。また12歳の長女が通う学校のクラスは30人だが、そのうち娘も入れて5人が柔道をしている。30人のうちの5人といえば、けっこうな人数だといえるだろう。

子供たちはなぜ柔道をするのか。子供たちにとって柔道は『かっこいい格闘技』というような部分もあるだろうが、おそらく多くの子供は親の進めで柔道をやっているような気がする。

ちなみに、私は子供たちと一緒に練習する『ファミリーコース』に毎週金曜日に行くが、1年ほど前に小学生の息子と一緒に始めたお父さんに『なぜ柔道をはじめたか』と聞いたことがある。すると『子供と一緒の時間を過ごすため、それからディシプリンをつけるためかな』とこたえがかえってきた。『ディシプリン』は文脈によって、いくつかの日本語訳があるが、この場合、しつけとか、規律といったぐらいか。

彼自身、スポーツは好きで、本人もいろいろやってきたが、所詮『スポーツ』である。私のドイツでの観察でいえば、柔道は武道というよりもスポーツとしてとらえる人も結構多く、彼もどちらかといえばそのクチである。それにしても、柔道を通して、子供に規律を教えることができるという期待感があるわけだ。

そんな彼の意見を聞いて思い出したのが、いつぞや、ある日本の著名人が自らの子育てについて書いていたことだ。『礼儀を身につけさせることについては、柔道をやらせてアウトソーシングしている』といった内容だった。この考え方に対して、私は完全に賛成はできないが、少なくとも、柔道に対する期待感はよくわかる。

誤訳・誤読を最小限に
柔道には当然のことながら日本の文化や価値観が反映されている。いわば柔道はそれらを国外へ運ぶ一種の『メディア』になっている。

国外に出たものは必然的に翻訳されるが、翻訳には限界がどうしてもある。それは日本の近代化の中で西洋から輸入・翻訳された概念を見ればわかるのだが、多くの誤訳・誤読が散見できる。

われわれは『柔道』という文字を見ると『やわらのみち』といったふうに漢字の意味からイメージすることがある。それに対してドイツの人たちにとって漢字はあくまでもアジアの不思議な文字である。あくまでも『ジュードー』という音だけ、いや正確にはJudoと書くと、ドイツ語では『ゆーどー』という発音になってしまう。これだけ見ても、翻訳の本質的な難しさがうかがえる。ついでにいうと、実際の競技でも国外で変形した『JUDO』とオリジナルの『柔道』の差について論じられているのはよく知られるところである。

誤訳・誤読を少しでも少なくする方法はいくつかあるが、そのひとつが『編み直し』だろう。そう、私が通う『ジュードー・ホール(道場ですな)』に貼ってあるポスターのようにだ。このポスターを作った人はどのような人かはわからないが、『精力善用』『自他共栄』をうまくほぐして、子供たちにもわかるように再び織りなおしたようになっているのがいいと思う。

ところで、現代の日本で、柔道に関心のない人にとって『精力善用』といわれてもピンとくる人も少ないのではないだろうか。価値観や考え方を外国語に翻訳すると、意外にすっきりとわかりやすくなる時がある。このポスターはそんな一例でもある。そう思いませんか?(了)


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