ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2009年5月27日



学校でサーカス


昨今、教育現場にサーカスを取り入れることが増えている。長女の通う学校でもそんな取り組みがある。


長女とサーカス
学校でサーカス

長女が通っている学校はアート系のプロジェクトにも力をいれている。
おもしろいのは自分で選択できる授業に『サーカス』があることだ。長女は週に何度か『ピエロ』の勉強をしている。

サーカスは実はわが家にとってすでになじみが深い。というのも、わが家の子供たちは小学校の授業が終わったあと(午前中でおわる)、学校の隣の幼稚園で2、3時間過ごすが、この幼稚園のプロジェクトでもサーカスを取り扱っていたことがあったからだ。

2006 年には本当のサーカス団と一緒に共演した。当時、私の3人子供たちも幼稚園に所属していたので、一輪車に乗ったり、火縄くぐり(というか火縄をジャンプするだけだったが)、アクロバット(器械体操)、ディアボロ(ジャグリングの一種で碗をふたつ合わせたような独楽を回す)などを長時間かけて練習した。

翌年にはエアランゲン市内のいくつかの幼稚園・学校と共同で広場にテントを張って、3日間の連続公演を果たした。現在長女が通っている学校のサーカスチームもこの時出演していて、長女などはそのころから『あの学校へ行きたい』などともらしていた。まったく、勉強に行ってるのか、サーカスに行ってるのか分かったものではない。

教育現場で人気
ドイツ、というより欧州ではサーカスはよく巡回しているようだ。わが家のすぐ近くに広場があるが、そこにもしょっちゅうサーカスがやってくる。

しかも『ドサ回り』といったほうがぴったりきそうな、動物を主体にした伝統的なサーカスもいまだに見かける。印象的だったのは、あるサーカスでローマ風の鎧をきたオジサンが、両腕でワニの口を開き、そこへ一瞬自分の頭をいれる、といった泥臭い芸をやっていたのを見たことがある。

ずいぶん昔、日本では『サーカスに売り飛ばすぞ!』などと、子供を怖がらせるために言われることがあったが、あのころの一抹の哀愁がただようようなサーカスが欧州では見かけるのだ。

それにしても、ドイツでは教育現場で『文化教育の実地』としてサーカスを取り入れることが増えている。いつぞやテレビの子供向けの専門チャンネルでも生徒のサーカス芸を披露する番組を見たことがある。ドイツ国内でもトップクラスの技術を持っていると思われる生徒で、かなり高度である。長女の通う学校にしても、10年ほど前からサーカスを取り入れたらしい。

またプロのサーカス団によっては、子供を受け入れて、サーカスの現場を体験させるプログラムを組んだりしているところもあるようだ。

目を転じて、サーカスのスタイルの変遷を見ると、『シルク・ド・ソレイユ』に代表されるヌーヴォー・シルク(新サーカス)といったものが1980年代に登場してくる。動物などを使った従来の泥臭いサーカスからアクロバットや曲芸を主体に、しかもアーティスッティクな衣装・舞台装置を使った芸術性の高いエンターテインメントに変化した。教育現場でサーカスが取り入れられたのも、ひょっとして、そんなことが背景にあるのかもしれない。

意義はあるのだが・・・
高い技術を持つ生徒もいる
ともあれ、確かにサーカスそのものをつくりあげるプロジェクトは意義がある。
サーカスには芸を披露するアーティストが必要だが、ほかにも照明、音響、舞台設営、プロジェクトのオーガニゼーションなど多岐に渡る仕事がある。それだけに演技力や技術はもちろん、チームワーク、企画力といったものを学ぶにはもってこいだからだ。

先日、長女の通う学校で『サーカス』が行われた。
実は、なかなか大変であった。

ここ数年、私は幼稚園に頼まれて、イベントなどの撮影をすることがあるが、ついシャッターをおしたくなるような表情のいい子供や、存在感のある子供がいる。それは小さな子供がもつ愛らしさによるものということもあるだろうが、とにかく、そういう『花』のある子供がいるものである。

ところが長女のサーカスでは技術的にはなかなかの腕をもった生徒はいたが、思わずシャッターをおしたくなるような、いわゆる『花』のある演者はいなかった。もっとも年齢的にいえば10〜18歳の生徒が出るので、『小さな子供が持つ花』はない。わが娘が登場するからこそカメラをもって、わざわざ出かけるが、客観的にいえばわが娘も舞台映えはもうひとつで、ぱっとしない。

もっとも、娘自身は舞台人を目指しているわけでもないので、花があるか、ないか、を問題にする必要はない。ただ、いずれ学校や仕事で人前でなんらかの説明や発表をするような機会も出てくるだろう。そんなときに、舞台経験が役にたつ、というより、経験を役に立てていくような勘のよさを身につけてほしいものである。

それにしても公演時間、3時間。所詮『発表会』と割り切りつつも少々苦行であった。(了)


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