ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2009年1月03日



『粘土でにゃにゅにょ』


知人である田中敬三さんの著書、『粘土でにゃにゅにょ 土が命のかたまりになった!』(岩波ジュニア文庫)の所感をのべておきたい。人の表現とコミュニケーションの複雑性と可能性が浮かんでくる。



びわこ学園
田中敬三さんの著書
『粘土でにゃにゅにょ―土が命のかたまりになった! 』(岩波ジュニア新書)

著者の田中敬三さんは第2びわこ学園(現・びわこ学園医療福祉センター野洲、以降びわこ学園と記す)の粘土質の担当者だった。びわこ学園というのは滋賀県にある福祉施設で病院機能ももっている。同施設には、知的障害と肢体不自由が重複している人が入居している。

本書は田中さんが同福祉施設で働くきっかけにはじまり、粘土室をつくるにいたる経過、その実現のための苦労がえがかれる。

さらには福祉施設にいる人たちが粘土とどうあいまみえていったのか、粘土で作られた作品が展覧会などのかたちでどのように社会の中で受け止められたか。そして、福祉という大きな視点からみたときにどのような価値があったか、そんなことが実に読みやすい文章でつづられている。

粘土をめぐる学園の皆さんの話はいろいろあって、それぞれ考えさせられるエピソードがあるのだが、とりわけ私はコミュニケーションという視点から考えることが多かった。

まなざし
田中さんとお会いしたのは13,4年前だと記憶している。友人のミュージシャンがボランティアでびわこ学園に入居している人たちを対象にコンサートを開くというので私もついていったのだ。

この時、田中さんからいろいろ説明をうけたが、今も印象に残っているのは、学園におられる人たちのまがりくねった肢体やゆがんだ表情だ。正直こういう障害を持った人と接するのはとまどった。

いや、「訪問者」である私は、接するというような関係を結ぶ以前に、どういうまなざしをすればよいか、ということすら迷った記憶が残っている。『憐み』をかけるだけなら、憐みのまなざしをかけるだけでよい。無視してよいのであれば、ひょっとして、もっと楽かもしれない、と。

余談だが、問題を抱えている人に対して、どういうまなざしかけるべきか、ということは社会福祉の基本的なところだと私は理解している。ここでは長くなるので別の機会にゆずるが、社会福祉の『先進国』とされるドイツの歴史の流れを中世ぐらいからたどっていくと、宗教や市民社会などが複雑にからみあって次第に近代的な福祉のまなざしを概念化し、そして政策にしていった。

なぜコミュニケーションが難しいか
話を戻そう。
そもそも学園の人たちと関係をうまく結ぶことができれば、『まなざし』なんぞ気にせずともよかったのかもしれない。しかし所詮、私は一時的訪問者であったし、実際に短時間で関係を築くためののコミュニケーションも難しかったと思う。

われわれは一般に、言葉やしぐさ、表情といったものが通常のコミュニケーションの大きな手段になっている。パーティなどを思いおこすと分かりやすいが、こういった手段を駆使しながら短い時間でコミュニケーションを成立させ、関係がつくられていく。

しかもファッションなどの外見を装うもの、言葉の選択といったものは、かなりの時間をかけて教育や社会的訓練によって獲得されていくものである。

それに対して、びわこ学園の人たちの場合、これらの手段を駆使するのが困難だ。つまり言葉、しぐさ、表情で自分を表現するときに、健常者とは異なる形になる。そして障害を持つ人たちの表現に不慣れな人にとって、理解が難しいということだ。

裏をかえせば、私がびわこ学園を訪問したときの困惑とは、言葉とかしぐさといったものに、われわれはかなり頼ってコミュニケーションを成立させていることを確認したということなのだろう。

意思と人格と粘土
ところが、粘土は違った。
粘土には当然のことながら柔軟性がある。その柔軟性が学園の人々の意思や人格の表現の手段になったのだ。

学園で粘土を扱うようになっていく経過や苦労は本書を読んでいただきたいと思うが、かいつまんでいうと、『先生でけた』と粘土で作ったものを見せる人もいれば目が見えない人が妊婦さんのおなかを手でさわり、それに触発されて粘土の赤ちゃんを大量に作った人もいる。

粘土は学園の人々の意思とか人格に柔軟に応えている。そしてあっとおどろかされたり、ふっと力が抜けそうな雰囲気の造形を作る人もいるし、田中さんはそれを焼いて作品化することもある。

造形がはっきりしたものは作者の意思とか人格が透けて見えてくるように思えるし、作品になる過程において、田中さんが学園の人たちとコミュニケーションをとっている。つまり、意思や人格を理解していく経過が見えてくるのだ。これが芸術がもつコミュニケーションの力なのだろう。

粘土の力(=柔軟性)はこれだけではない。
粘土はこねて形をつくるだけのものではないのだ。にゅるにゅると触った感触や、ドロドロになった泥状と思われる粘土に指でつきさしながらぴちゃぴちゃ音をたててただ遊ぶ人もいる。

またこの本には田中さんが撮影した写真がかなり掲載されているのだが、水でのばした粘土を顔に塗る人の写真は圧巻だ。キャプションには「歌舞伎役者顔負け」とあるが、表情や塗り方、もちろん写真のアングルもいい。こういう行為自体が感情をゆすぶられるようであるし、その心の動きを田中さんが受け止める。コミュニケーションが成立しているのだ。

ここまで至る試行錯誤には大変なご苦労があったようだが、やがて田中さんが、粘土でいけるとピンときた瞬間があったようだ。その時のことを療育記録に書き残されていて、それを本書でも紹介されている。ちょっと引用してみよう。

「粘土は水を加えるとどろどろになるまで形を変えるという自由自在性をもっている。なにも園生に粘土を押し付ける必要はない。むしろ園生側に粘土を合わせていってもいいのではないか。粘土はそのようなしなやかさ、やさしさをもっているのではないか」(54ページ)

田中さんが粘土の可能性を発見して欣喜雀躍の心中が見えるようである。本書は田中さんとびわこ学園の人々とのコミュニケーションにまつわる物語である。

                         ※  ※

わが家に飾ってある『にゃにゅにょ』
最後にわが家の『にゃにゅにょ』について記しておきたい。

訪問したときに購入したのか、いただいたのか、記憶がもうはっきりしないのだが、我が家にもひとつ『にゃにゅにょ』、つまりびわこ学園の人がつくった素焼きの作品がある。分厚い小皿のような形状の作品で顔のようにも見える。

びわこ学園を訪問して数年後、私は結婚した。引っ越しも数回行ったが、そのたびに素焼き作品を壁にかけて飾ってきた。妻も新居に移るたびに、その作品の場所を当然のように確保した。

やがて子供が生まれる。
子供たちにとっては、物心がついて以来、家にあるものなので何も気にかけていないようだが、娘の一人が小さな時に一度だけ『パパ、これ面白い顔ねえ』と指さしたことがあった。『うん、おもしろい顔やろ』といった。そして娘をひざにのせて、粘土の顔を見比べながら、私は自分のほっぺたをひっぱたりして、娘とにらめっこをして遊んだ。

びわこ学園の『にゃにゅにょ』が今度は私と娘の中にすっとはいってきた瞬間だった。(了)


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