ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年7月21日



職場としての幼稚園(下)

幼稚園といえども、経営体であって職場である。職場として見た場合、スタッフの成長といった人間模様もみえてくる。前回に続き、子供たちが通う幼稚園の様子を見てみる。

※この記事はメールマガジン『ドイツ発 わが輩は主夫である』に執筆したもの です。

先生の成長
バーバラ先生の資格は保育助手。フルタイムではないが、芸術教育が専門で舞台やアクロバット(器械体操ですな)なんかのプロジェクト担当している。若くて元気な先生である。

長女はこの先生が行うアクロバット・プロジェクトに毎回参加していたのだが、つまらないからやめたいと言い出したことがある。5、6歳の子供もこなせる内容にならざるを得ないこともあり、また内容的にもマンネリ化していたところがあったからだ。これが長女のような小学生にとってつまらないというわけだ。他の小学生の子供からも不満はでていた。

ある日、私は次女と長男を迎えにいった。この日、長女は引き続き練習があるので幼稚園に残らねばならない。が、自分も帰るといいだした。

このころ長女は偶然にいろいろなものが重なって、スケジュールが過密気味。ストレスもたまっていたということも分かっていたので、私が一言先生に言って、練習を休ませることもできた。だが数日後には発表の舞台が控えていて最後の調整という段階だ。それだけに私は練習に参加するように言った。

しかしながら長女は譲らない。爆発した。バーバラ先生を前に、プログラムがつまらないので参加できないと猛烈に泣き出したのだ。長女の激しい拒否にバーバラ先生の表情は鉛のようになっていた。さぞかしショックであっただろう。先生は言葉が続かなかった。

ほどなく長女の泣き声に園長先生がなにごとかとやってきて、バーバラ先生から事情を聞いた。すると『あとは任せてください』と私に言って、長女を抱っこしながら別室へ連れていった。その日、長女は園長先生とあれこれゆっくりと話しをした。とにかく発表の舞台には出ることを承諾したが、次のアクロバット・プロジェクトには参加しないということになった。

その後、バーバラ先生もプログラムの内容を改良したようである。先日、長女と同じように不満をもらしていた小学生のお母さんが、『がんばって、つくりなおしたみたいよ』と教えてくれた。次は長女が参加しても面白がるのではないかとのことだった。

おそらくバーバラ先生は園長先生たちと話したり、自分で考えたりしたのであろう。こういってはなんだが、職業人としての成長する過程を見た思いだった。

がんばれ実習生くん
ドイツは一般に学校を出たあと、インターンを経て職につく。幼稚園も例外ではなく、実地の職業訓練が必要だ。幼稚園では毎年、先生の卵が1年間インターンとして働くが、2006年度は男性ばかり4人もやってきた。保育士・保育助手の先生たちは全員女性なので、雰囲気がずいぶん変わった。

幼稚園にはおむつの取れない子供たちもいるわけだが、ある日、1人の実習生くんはトイレでウンチまみれのオムツを交換していた。がんばってやっているのだが、それにしても大変だろうと思う。自分の子供が生まれると、男性もある種の覚悟ができて『お父さん』になっていくものである。そしてオムツの交換なんかもする機会も当然出てくる。だが彼は20歳そこそこの独身男性だ。

それを見ていた次女の友達は『うへえ、うんち!』と顔をしかめた。そばにいた私はすかさず『君だって小さい時は、お父さんやお母さんにオムツ交換してもらってたんだぜ。私だって3人分のオムツをかえたよ!』といった。半分は実習生くんへの応援のつもりだった。

小学校と比べてみると・・・
幼稚園にやってくる男性といえば、忘れてはいけないのがオーパ・フレック(フレックじいちゃん)だ。フレックさんは週一度、午後からやってくる。いつも10人ほどの子供が取り囲んでいる。フレックさんがやるのは『総合的学習時間』のようなプログラムだ。焚き火をしたり、理科の実験のようなことをしていることもある。

一度コンピューターをみんなで分解しているのを見ていたことがあるが、子供たちはぐぐっと集中している。面白いのだ。『はい、これ、だれかやってみるかい』とドライバーを差し出す。僕がやる、私がやる、と子供たちの手があがる。この時、長女はバラバラになったキーボードの文字をいくつか貰って帰ってきた。

ドイツの小学校では男性の教員が少ないということがひとつの問題になっている。女性教員は当然のことながら『男児』であった経験がない。男児の特性を深く理解するのも限界がある。それだけに男性教員も必要だというわけだ。実際、長女と次女が通う小学校も男性教員は校長先生だけだ。そんな話を幼稚園の先生としていると『ウチは、フレックさんがいるでしょ』と目配せした。

わが家の子供が通う小学校との比較を続けると、先生の質にばらつきがありすぎるところに問題を感じている。私の観察でいえば、質の向上につながるような先生同士の緊密な関係が希薄である。これは制度的なものか、はたまた職業人としての誇りも時代のせいで低下したのか、原因はわからない。ただ、わが家の子供が通う幼稚園のほうが先生たちの連携が大きい。教育のための組織としてはずっとすぐれているように思えるのである。

そんなことを考えると、先生たちがチームとしてどういう運営しているかという点が学校選びのカギなんであろう。それが教育『機関』の核といっても過言ではない。(了)

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