ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年5月13日



びっくりたまご

子供にとって先生というのは影響力の大きい存在である。しかしどんな先生にあたるかは、あけてびっくり玉手箱。子供も親も先生に右往左往させられる。

※この記事はメールマガジン『ドイツ発 わが輩は主夫である』に執筆したもの です。

ちがいすぎる教授法
ドイツに卵と同じ大きさと形をしたチョコレートが売られている。日本でもたまに売られているようなのでご存知の方もいるかもしれない。

このチョコ卵の名前は中には小さなおもちゃがはいっている。子供にとってそのおもちゃが楽しみなのだ。だから商品名は『キンダー・ウーバーラッシュング(直訳すると“子供びっくり”)』。普段は『びっくり卵』などとよばれている。製造しているFERRERO社はイタリアで創業され、ドイツにも現地法人がある。ドイツで『びっくり卵』が登場したのは1974年。だから妻なども子供のときに親しんでいる。

びっくり卵のおもちゃはそれなりによく考えられているものであるが、我が家の3人の子供たちが、いっせいにあけたときに、やはりあたりはずれがある。

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前置きが長くなったが、学校の先生も考えると、この『びっくり卵』と同様である。しかもドイツの学校は先生の裁量に任されている部分が多く、個性や能力がかなり前に出てくるように思える。

長女が1年生の時の先生は、人間としてはいい先生だった。しかし教授法には疑問を持った。宿題などをみると、シュタイナー教育の影響をずいぶんうけている先生のようであったからだ。

私自身はシュタイナー教育について子安美知子さんの著書などを読んだ程度だが、基本的な考え方は理解するものの、実際の教育としては違和感がぬぐいきれない。一歩ゆずってシュタイナー教育もシュタイナー学校でずっといけばそれなりのよさもあるかもしれないが、長女の場合、シュタイナーに影響されたと思われる先生の授業を1年間という中途半端な期間うけた。

2年生の担任の先生は副校長も兼任するいい先生だった。教授法はけっこう厳しく、宿題も多かった。これは長女にとって大変だった。

というのも、シュタイナー式先生の教授法は表面的にみると学習進度が遅い。たとえていえば長い時間をかけて『あいうえお』をやり、漢字なんぞはなかなか出てこないような授業なのだ。そんな先生のあとに、漢字のトレーニングをがんがんやるような先生が担任になった。2年生になったばかりのころは、長女のみならず、クラスメイトの多くが『うへえ』と顔をしかめていた。

学校の奇妙さ
それでも長女は適応していった。先生自身が人間的に魅力のある人だったからだ。いち職業人としても、常に職能を向上させようという努力をしていて、尊敬できる人である。

それにしてもだ、学校とは奇妙なところである。どう奇妙かといえば、一般企業の尺度から見たときにおかしなことがある。

学校を教育機関としてどう位置づけるかという議論は細やかにしなければいけないが、仮に生徒は教育サービスをうけている客と考えると、企業の論理では担任がかわるときに、引継ぎをきちんとする必要がある。

長女のケースでいうと本当は1年生の先生は2年生まで持ち上がるはずだった。しかし、1年でよその学校へ転任した。先述したように、教授法について先生の裁量はかなり大きい。シュタイナー式と思われる教授法を1年間やって、引継ぎがないというのは、一般企業の尺度からみると、顧客への担当者の交代、サービス内容の変更を適切に行っていないのと同様だ。

学校を企業の尺度にあてはめる必要はないし、完全にあてはめるのも問題があると私は考えている。しかし先生というのは身分の保障にともない、ある種の閉鎖的で硬直しがちな組織である。それがこういった形になってあらわれてくるように思えてならない。

2年間やりすごす戦略
長女が3年生になったとき、耳に入ってきたのが担任の先生のまずい評判だった。この先生は子供のみならず、関係者からも不評である。当初私は『評判は評判』と距離をおいてみていたが、すぐに子供に影響した。長女の顔が曇ることが多くなった。

この先生の悪評はいろいろ耳にはいってくるのであるが、中には話し半分できいておおいたほうがいいようなこともあるだろう。それにしてもぬぐい切れない違和感がある。それは、子供のモチベーションを高める配慮があまり感じられないことだ。

ドイツには落第がある。3年生になって半年ほどたったあと、長女のクラスは24人のうち2人が落第して2年生に戻った。私が知る範囲では、少なくとももう一人の児童も危うかった。保護者との話しあいで、1年間様子を見て判断するということになり、落第をまぬがれた。この様子を見ていると落第する児童本人の問題もあるだろうが、先生の職能の問題もあるように思えてならない。

そんなわけで、私と妻は長女と話す時間を増やした。というよりも自然に増えた。

『まあ、どの先生が担任になるかはびっくり卵みたいなもんだ、もっとも先生にとってもどんな子供が来るかはびっくり卵やけどなあ』と長女に話した。そして、次の3点を加えた。
  • 先生に左右されて成績が下がるのはバカバカしい。先生のやり方が受け入れられなくても、勉強してテストでいい点をとること。  パパとママはそのための支援はする。
  • 先生だって人間である。『嫌い、嫌い』と思っていたら、その気持ちは伝わる。すると、先生との関係も不必要に悪くなるかもしれない。先生のいいところをみつける努力をすること。
  • 何があってもパパとママは味方であること。

これは学校をどうやりすごすかという戦略にほかならない。親の立場としてはクラスを変えてくれとか、担任を変えてほしい、といったふうに学校と対峙する選択肢もあるだろうが、使うエネルギーが大きすぎるうえに子供にとってもストレスが出てくるだろう。また今のクラスは1年生からずっともちあがってきているので、友達関係、親同士の関係は大変いいのだ。

これぐらいの年齢の時ぐらい、もう少し楽観的に学校生活をとも思うが長女の様子をみているとそうも言ってられない。やれやれである。親としては、どんと構えて子供に対して安心感を保障しつつ、現実的な道筋をつけて、必要な支援をしてやるということが肝要だろう。

目の前と遠くを同時に見る
だが、よくよく考えると、会社などでもできる社員はほんの一握り。そこそこ能力ある社員がそれなりにいて、ダメな社員もいる。先生だってそうなのだ。どんな先生にあたるかは、まったくもって『びっくり卵』なのだ。が、問題は子供にとって先生の存在感や影響力は小さくないということだ。人生を左右しかねないこともあるだろう。先生の質については日本でも議論があるが、これはドイツでも同じといえる。

またドイツの教育システムを鑑みると、基幹学校(小学校。4年生まで)のあと、ある程度人生の方向性が決まってしまうようなところがある。もし子供に将来なりたいもの、それがたとえばパイロットになりたいなど一定の教育が必要なものであれば、まずい先生のために成績が下がると、夢が遠のいてしまう。それだけに、できるだけ遠くをにらみつつ、現実をどうしていくかという助言が必要だ。

まあ、長女といろいろな話をしているうちに自分はどうするべきかということが彼女なりにつかんだようで、少し表情も明るくなった。が、それにしても夕食時などに『先生のいいとこ見つけたか?』とたまに問うても『ううーん』と苦虫をつぶしている。それに、いまだ2年生の時の先生に手紙を書いたり、話しに行ったりしている。

そんな様子を見ると、『ひょっとして落第した子供のほうが、先生がかわってラッキーかもなあ』と妻と顔をあわせるのであった。(了)

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