ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年3月19日



シリコン・ジェネレーション(上)

下の世代は自分たちとは異なるテクノロジーで育つのが世の必然。それにしても親の立場になると少し不安もよぎる。われらの子供たちを『シリコン・ジェネレーション』として位置づけて考えてみた。

※この記事はメールマガジン『ドイツ発 わが輩は主夫である』に執筆したもの です。

カセットテープ買ってよ!
ある時、義父とカメラの話になった。すると、『ちょっと待ってて』と含み笑いをしながら、自分のコレクションを引っ張り出してきた。義父が使っていた歴代のカメラというわけだ。ずらりと並べて順番に解説してくれた。中には現在のフィルムとは異なる規格のものもあるが、それにしても今も立派に写るしろものだ。

興味を示したのは子供たちである。
私はデジタルカメラを使うのが早いほうだった。子供たちの写真は生まれた時からデジタルカメラだ。長女と次女の写真は銀塩カメラで撮影した分もあるが、物心のついたときはすべてデジタル。カメラとは撮影した直後にモニターで見ることができて、パソコンでスライド風に見ることができるものだと思っている。子供たちは古いカメラを見て、『どこに(撮影したものが)映るの?』ときいた。

この手のことはまだある。
ある時、長女が子供用につかっているCDラジカセをさわりながら、『これ何?』ときいてきた。カセットテープをいれるところだった。さっそくあれこれ掘り出して、カセットテープの現物を見せた。『なんでウチにはCDばっかりなの、カセットテープの音楽も買ってよ』と口をとがらした。私と妻は顔を見合わせて、思わず苦笑した。そんなことがあったので、妻の実家へ行ったときに義父にレコードを見せてやってほしいと頼んだ。子供たちはめずらしそうに黒い円盤を眺めた。

最近、家族で映画館へ行った。長女は映画館は体験済みだったが、次女と長男ははじめてだ。映画といえばDVDで我が家の小さなテレビで見るものだと思っている。『映画館というのはものすごくデカい画面で見る』というと、5歳の長男は『大きなテレビなの?』ときいた。劇場のようなしつらえになっていて、大勢の観客といっしょに見るというスタイルすら想像しにくいようだ。

映画館に入り、席についたあと、『後ろから光が出てるやろ、あれが前に映ってるねん』と教えると、長男は上映中、何度も後ろを振り向き、光がスクリーンに届いているのを確かめた。

映画といえば、最近長女は『シシー』(1955年)がお気に入りだ。シシーとはオーストリア皇后兼ハンガリー王妃で、私たちが住むバイエルンの王家の出身である。映画の舞台は19世紀半ば。当時の最新の通信技術である電信がよく登場する。シシーの父親が『トン・ツー、トン・ツー』と電信を打つ真似をしながら執事に飲み物を持ってきてくれと頼むユーモラスなシーンもある。

これだけ印象的につかわれると、子供たちも映画のあとは『トン・ツー、トン・ツー』とやりだす。通信の手段ということは理解しているようだが、いまだに、よくわかっていない。そこでモールス信号のことを教えたが、それでもピンとこないようだ。

シリコン・テクノロジー
ドイツのジャーナリスト、フロリアン・イリエスは65-75年生まれを『ゴルフ世代』と命名した。『ゴルフ』とはフォルクスワーゲン(VW)の主力車のことだが、この世代が初めて買った自動車はそれまでの『ビートル』ではなく『ゴルフ』だったというわけだ。

ビートルを愛車にしたのは日本でいう団塊の世代と同じ、あるいはこれらの年代の価値観を引きずっている世代だ。彼らは愛車が壊れても自分でなおした。ところがゴルフ世代はすぐに『専門家』に見てもらうし、なにかにつけ既製品を好むといったような特徴が描かれた。

ゴルフ世代の次の世代は76年─85年生まれということになる。この世代の特徴はといえばシリコン世代といったところだろうか。インターネットの登場やパソコン・携帯電話で育った世代だ。我が家の子供などは長女で97年生まれだから、すべてのメディアがデジタルデータになっていて、物心がついたときにはi-podなどで聞く音楽、つまりシリコン・ミュージックが普通にある。自分たちの小さい時の動画はパソコンで見るものだと思っている。

日本の子供文化には科学少年という系譜があった。象徴的なのが1924年に創刊された『子供の科学』という雑誌の存在で、現在も発行されている。少年時代に鉱石ラジオをつくったという高齢の御仁もおられよう。

私の年代でもそういう科学少年の流れのようなものがまだあったし、ごたぶんにもれず私もこの雑誌を購読していた。ただ、80年代初頭には巨大なワードプロセッサーや4ビットのコンピューターが記事に登場してきた記憶がある。8ビットパソコンのブーム前夜だった。

それにしても、私が子供のときは身の回りにあるテクノロジーも時計仕掛けの延長線上にあるものがまだまだ多かった。先日、電池と電球のことが長女が通う学校の授業で登場したが、いまや我が家にある懐中電灯はLED(発光ダイオード)だ。

技術の進歩に対してとやかく言うつもりはない。たとえばより高度な技術で環境負荷を下げるようなものが登場するといったようなことは歓迎すべきことだと思う。ただ時計仕掛けの科学はまだなんとか子供に説明ができるが、シリコン・テクノロジーになると完全にブラックボックスである。お手上げだ。(つづく)

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