ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2006年11月7日



カネのつかい方は難しい

お金をためることはできたとしても、実はその使い方がむつかしい。税金の使い方もそう。生活の質とは何かを考えて使い方を考える発想があってもよい。

※この記事はメールマガジン『ドイツ発 わが輩は主夫である』(2006年11月07日付) に執筆したもの です。

 わが家はビンボーで、日々の生活では家計のやりくりは大変だ。が、貧困ではない。

 ただ、外食をしょっちゅうすることができないとか、大型のテレビがなかなか購入できない、などといった程度のことである。消費経済という見方からすると、ビンボー。消費意欲があっても購買力がないという状態であるわけだ。

 こういう状態を格差社会と関連させて、『これからは年収300万円世帯が圧倒的に増える』という見方があり、そして『生活の質をおとさねばならない世帯が増える』といった具合に語られる。

 ここでいう『生活の質』に対して、私は一抹の違和感を覚えている。なぜなら、こういうお話で出てくる『生活の質』とはたいてい消費財の価格のことを言っていると思われるからだ。この考え方からいえば、大型の液晶テレビを持つ家は生活の質が高く、わが家のようにブラウン管の小さなテレビを持つ世帯は生活の質が低い。ということになる。

 だが、わが家をふりかえると、夏場は日曜日になると芝生の広がる公園へ家族で自転車で出かけ、無料のコンサートを楽しむ。ミュージアムや劇場などへも結構行くほうだ。週に一度、家族でスポーツもやる。

 また友人や義理の両親たちとお喋りしながら皆で近所の森を散歩するなどというのは、なかなかの贅沢な時間だと思う。

 加えて一年の内ほとんど毎日、家族全員で夕食と団欒の時間をとっているし、自動車でイタリアまで行って休暇も過ごす。

 消費経済という軸からみればビンボーなわが家だが、生活の質はそれほど低くはないと思っている。むしろ、年収1000万円あったとしても、夕食を全員で楽しむ時間がなくなるほうが問題だ。まあ、もちろん家族で楽しむ時間があって、かつ高収入という状態のほうがいいが。

■生活インフラの充実と格差社会
 わが家のようなビンボー世帯でも、ある程度の生活の質を実現しているのは主に2つに理由がある。ひとつは日本に比べると短時間労働で職住近接という傾向が強いということ。それから地方ごとの文化が充実しているという点である。

 もちろんドイツは決してユートピアではないし、国内問題というのもいろいろある。それにしても、家族で過ごすには日本よりもよい点が多いと感じている。

 地方の文化に関しては、ドイツが連邦国家ということが大きく影響している。各州は州ごとに憲法があり、文化に関しても州が立法権を持っている。

 ドイツの連邦政府関係の予算はざっと1,500億円。日本は1,015億円。(2004年)

 さらに生活空間である地方をみるとドイツの州・自治体の文化予算は70億ユーロ。換算すると1兆円ぐらいか。それに対して日本の地方の文化予算は5億円ほどだ。(いずれも2003年)

 ビンボーなわが家が無料コンサートを楽しんだり、地元の劇場やミュージアムに豊富なプログラムがあり、ひょいと出かけたりできるのは、地方に文化のためのカネがあるからだ。何も東京や大阪のような大都市での話ではない。わが家が住むエアランは人口10万人の都市。日本でもざらにある規模の自治体だ。

 それから考えるべきはカネの使い方。いくらカネがあっても使い方を誤れば『ムダ銭』である。そもそも文化予算も本来は税金で、何も連邦政府や州・自治体がカネを生み出すわけではない。国や自治体は国民からカネを集めて、その配分と使い方を決めているだけでなのだ。

 日本で格差社会になりつつあるといわれている。再チャレンジ制度やニート対策など、あれこれ予算をつぎ込むのも大切だが、年収300万円世帯でも家族で一定の生活の質を保てるようにはどうするべきか、という発想があってもいいと思う。(了)

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