福祉国家として知られるドイツ。ところが財政や経済状況が影響して年金・社会保障の制度もかなりほころびがきている。同時にこれ
らの制度を支えていた「社会的市場経済」という国家コンセプトも少々あやしい。ドイツの年金・社会保障制度の状況を見てみる。
※この記事は2006年5月25日付 The DAILY nna ドイツ&EU版 に執筆したものに手を加えたものです。
1957年。戦後、旧西ドイツが名実ともに福祉国家としての地位を確立した年である。年金制度は賃金や物価の上昇にあわせて受給額も変動するものがつくられた。日本から見えるドイツは手厚い社会保障の国であり、仕事をリタイアした人たちが悠々自適の生活を楽しんでいる『福祉国家』であった。
ところがドイツの人々は『福祉国家』という言い方を忌避する傾向があり、『社会国家』と位置づけている。福祉というと、絶対王政時代の上からの庇護行政を思わせ、国家が人々を養っているというイメージを想起するためだ。
社会国家というのは戦後初の初代首相、コンラート・アデナウアー首相(1946−62年)率いるキリスト教民主同盟・社会同盟(CDU/CSU)が掲げた。旧西ドイツの独自性と統一感を創出するために生まれたものだが、背景には戦後はナチの政策からの決別や西側諸国との親和性、あるいは共産主義と異なるものが求められたという事情もあった。
ここでいう『社会』とは何か。経済の分野でいえばドイツは『社会的市場経済』という国家コンセプトを持っている。これは市場経済における自由と自己責任を保障しつつ、社会的公正さを実現すべきであるという考え方なのである。
この実現のために重要な考え方が連帯という言葉だろう。日本では労働運動などで使われることが多かったが、ドイツではもうすこし普遍的意味を持っている。労使の関係でいえば、経営者も労働者も皆で力を合わせて、自治を行い、社会的公正さを実現しましょうという意味だ。労働運動にある革命イデオロギーとは一線を画す。
ともあれ、本来の社会保障や年金制度はこうした考え方を基につくられており、世代間扶養による年金制度はいわば世代間の連帯であった。
■改革がいる
ところが、である。
現実の社会保障制度は選挙の際に『飴玉』のように使われることが少なからずある。これも右肩上がりの経済成長が見込めたときはよかったが、現実的には『社会国家』ではなく『福祉国家』となり、次第に制度にヒビがはいってくる。
それを受けて、ここ数年は改革を進めている。たとえば、2001年には年金改革が行われ、連邦労働・社会大臣の名前をとってリースター年金とよばれるものが導入された。これは法定年金制度を補完するための任意加入の制度だ。いわば公的年金を縮小し、私的年金を強化する動きだ。
また、2003年にはドイツ版の構造改革プログラム『アジェンダ2010』が打ち出されたことは記憶に新しい。それ以外にもフォルクスワーゲンの人事担当取締役だったハルツ氏による労働市場改革の4番目の提案『ハルツ4』では失業救済金と生活保護手当の一本化が断行された。
■原点はあるが・・・
これらの改革はいわば制度上の改革である。既存の恵まれた制度の変化は人々にとってショックではあるが、概念的にいえば、いわば福祉国家から脱却、自助をベースにした正常な社会国家へ戻ろうとしているともいえる。
それと同時に社会国家の経済コンセプトである社会的市場経済の新しい姿を模索するべきだとする意見も党を超えて政治家の中でも議論がおこっている。
中でも昨年話題になったのは前政権の与党・SPD(ドイツ社民党)の党首(当時)、フランツ・ミュンテフェリング氏の資本主義経済の批判だろう。グローバル経済の中、『資本家はイナゴの大群のようにやってきて、勤勉な人々を急襲する』と表現した。これに対して当時の野党や経済界が反発。マスコミをにぎわせた。この発言には選挙などをにらんだものとの見方もあるが、真意は、マネジャーや経営者は金儲けだけではなく、社会全体のことも考えるべきだという一種の原点回帰発言だ。
昨今のドイツでは『社会的』という考え方を支えていた連帯の意識も若い世代を中心に弱まりつつある。すなわち年金や社会保障制度の基礎が崩れてきているわけだ。こういった点は日本と同様だ。ただ改革にあたって、ミュンテフェリング氏のような発言が出るたびに、年金・社会保障を成り立たせている原点はまだ生きていることが確認できるのが救いだ。(了)
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アメリカ型の市場経済が社会的市場経済を押しやる?
2005年6月2日付 ディ・ツァイト紙の記事につかわれたカット |
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