ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2006年11月16日



民主主義の実験、タウンミーティング

タウンミーティングのやらせ質問が発覚した。本質的に対話のリテラシーの欠如があるように思えてならない。


■料亭方式と一線画す
昨年、杉村太蔵議員が当選したときに『料亭に行ってみたいですよ』 といった趣旨の発言があり、マスコミをおおいに賑わしたことは記憶に新しい。

この料亭方式はいわば密室での意思決定方式である。すこしばかり悪意をこめた想像をするならば、なにやら時代劇での悪徳商人と悪代官のやりとりを彷彿とさせる。

私は政治の現場はよく分からない。が、杉村議員の発言は、公人として問題はあるものの妙に納得した。政治とは『料亭方式』が普通のやり方であるというイメージの強さをあらわしているからだ。

それに対して、タウンミーティングは料亭方式とは一線を画するものだ。少なくともそういうイメージがあり、肯定的に私は見ていた。この印象を決定づけたのがタウンミーティングの記者会見に参加した時だ。当時経済財政担当大臣だった竹中平蔵氏にタウンミーティングをどう位置づけているかという質問をしたところ、『民主主義の実験という位置づけ』という回答があったのだ。

■『みんなで話しあう』の難しさ
民主主義、デモクラシーをもう少しもみほぐすと、主義というよりは制度である。どういう制度か一言でいえば、密室ではないところで『みんなで話し合いましょう』という制度だ。もっとも『主義ではなく、制度であり・・・』などと御託をならべずとも、そんなことは自明のことであると思われる方も多いであろう。

しかし、『みんなで話し合う』というのが日本でどうもうまくいきにくい。

私の記憶が正しければ、この記者会見で竹中氏は、国会での不規則発言、俗にいう野次が、テレビで見るよりかなり多いんですよ、といったことを発言していたと思う。いうまでもなく、野次は話し合いでもなんでもない。

この背景には日本のコミュニティでの伝統的な人間関係のあり方や教育、技術としての言語訓練などの問題がある。それから、コミュニケーションのあり方についてドイツと日本の違いをコントラストを大きくしていえば、ドイツは対立することを前提に進めているようなところがある。

対立を暴力ではなく話し合いで解決しようというのが民主制度の基本的な部分だ。そしてヨーロッパの近代社会が歴史を経てたどり着き、共有している態度である。ドイツにいると身にしみて感じるのだが、発言の手続きをかなりきちんと子供に教えている。

それらを勘案すると、日本の野次がひどいのは近代社会的なコミュニケーションの態度を共有できていないから、ということになろうか。どこの国かうろ覚えなのだが、ずいぶん前に『ビックリ映像』の類で、アジアのある国の国会で議員が殴りあいをするという場面を見たことがある。これなども日本の野次と相似形ではあるまいか。

■対立するための話術を
日本が民主制を貫くのであれば、30年ぐらいかけてしなければならないことがある。それは『みんなで話し合う』といったときのプロトコル(相互の約束事、手順)の確立だ。まずは対話のリテラシーを高めること。このときの対話とは『対立するための話術』と読み直すとよい。

おりしも教育制度の改革をしようという時期である。技術としての言語を使いこなせるような訓練を教育カリキュラムに取り入れるべきだろう。そうすれば30年後の国会の不規則発言も少しは減ることだろう。

ひるがえって、タウンミーティングは民主制のための対話プロトコルを醸成していく機会でもあった。が、やらせがおこった。やらせとは本質的に『料亭方式』の発想と同じである。報道によると現在、調査が進められているようだが、『民主主義の実験』はまだまだ続く。(了)

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