20−24歳の初婚数をみると、1980年には約3万3,000人だったのに対して、2000年には約1万7,500人に減っている。
逆に35−39歳が増えている。
1970年で約8,400人だったものが2004年になると約2万8,000人と増加。特に1990年から10年の変化が著しい。
(1990年:約1万1,000人、2000年:約2万1,000人)
ちなみに19歳以下で結婚した女性は2004年では約1万7,000人。1930年では約10万5,000人もいた。
これらの統計には総人口に対する『婚姻率』ということも勘案せねばならないが、いずれにせよ『クリスマスケーキ婚期』は90年代に崩れてしまったといえそうだ。
さらに興味深いのが出生動向だ。結婚持続期間20−24年の平均出生児数は1977年当
時で2.30人、2005年も同じ。この期間、若干の増減はあるが最低でも2.21人。だいたいこのぐらいの人数を保っている。
統計からいえることは、初婚の動向は変化しているが、結婚した夫婦の最終的な子供の数は2人以上いるということだ。
多様化している人生(ライフ)スタイル
さて、数字だらけの文章になってやや読みずらくなってしまったが、この統計の数字の実感は私自身ある。
たとえば、ある時、私は子供を連れて日本の友人宅を訪ねた。彼女は40代半ば。離婚したため現在独身。子供はいない。
三々五々話をしていると、そこへ彼女の友人たち(女性)がやってきた。一人は20代半ば。もう一人は40代半ばである。2人とも1歳の子供がいる。
驚いたのは、20代半ばの女性の母親というのがまだ40代半ばだという。
この時、たまたまそういう顔ぶれになったのかもしれないが、先述の統計と重ねて考えると、人生(ライフ)スタイルの多様化という言葉が浮かぶ。
他方、私の周辺の子供のいる夫婦をみてみると、一人っ子のほうが少ない。だいたい2−3人いる。『2人目の子供が生まれました』という知らせを話をきくたびに『少子化ってどこの話だろう』という気がする。
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ちなみにドイツでの実感も同様だ。
ずいぶん前に、妻の同窓会に一緒に出かけた話をかいたが、子供が4人もいるという人から、子供を作らないカップル、そして独身の人まで見事にバラバラである。
われわれの親世代が40歳の時といえば、多くの人が結婚して子供が2、3人という状態だったのではないか。
片や、子供が通う学校や幼稚園をみると、一人っ子のほうが少ない。
統計に基づく検証をすると、また違う結果がでるかもしれないが、実感ベースでいえばドイツも日本と同様、少子化の実態は人生(ライフ)スタイルの多様化であるように思えてならない。
『バラバラ』が少子高齢化の背景
人生(ライフ)スタイルの多様化といえば肯定的にきこえるが、実はバラバラということである。これはそのまま政策の難しさにつながることが多い。政策なんぞある程度の『マス』を前提にしてつくられている面が多いからだ。社会保障などは最たるものだろう。企業の労務管理にしてもそうだ。
ドイツにしても日本にしても、暗黙のうちに国民のほとんどが同じようなパターンの人生(ライフ)スタイルをもっていることが前提につくられたのではないだろうか。
それから少子化の功罪についてもうすこし複眼的に見る必要もあるように思える。
少子化は労働力の減少といったことがよくあげられるが、そういったマクロ経済の視点以外にも子供の存在自体が社会の活気とか新陳代謝になっている面もある。子供の声があるのとないのとでは雰囲気は全く異なる。
また少子高齢化という条件下でそれなりの社会・経済構造を築けばよいではないかという考え方もある。私自身、比較的賛成する意見であるが、社会の縮小均衡化につながる可能性がある。
縮小均衡化に至ると、『世界の中の日本』という構図の中では最終的に国力の低下などのリスクも考えられる。外国に住んでいるとたびたび感じるのだが、日本という国が作り出しているブランド力、信頼感というのはなかなかのものなのだ。
以上のようなことを勘案すると、国力の維持・向上のための国家戦略と国民の人生(ライフ)スタイルのバラバラ化をどう整合性をつけるかということが国政の中で求められる少子高齢化対策の方向性であるように思える。
そのうえで忘れてはならないのは国力とは経済力のみならず、信頼性とか存在感ということも含まれていることはいうまでもない。
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今回のコラムは東京都のT.Y.さんから、日本の少子化をどのように感じますか、という旨のメールにお返事を差し上げるかわりに書いてみました。T.Y.さん、いかがでしょうか?(了)
※統計は『国立社会保障・人口問題研究所』の統計調査を用いた。 |