ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2006年9月25日


止めるためか、走らせるためか?
埼玉県川口市で保育園児の列に自動車が突っ込んだ事故があった。そんな事故を報じるニュースの中でこの道路が普段どのような状態だったかという記述があった。

この路地は信号のない「裏道」として使われていたという。つまり地元のドライバーだけが知る近道になっていたのだろう。狭い道であるにもかかわらず40−50キロぐらい出すドライバーも多いとか。

この話は私の実家の奈良県内でも同じようなことがいえる。たまに帰国すると、実家の近所の道路は怖くてしかたがない。もっとも私だってドイツに住む前は、裏道をけっこうなスピードで走った記憶はあるのでえらそうなことはいえない。

では、なぜこういうことが起こるかといえば、日本の道路は渋滞が多いせいだ。ドイツでももちろん渋滞はあるが、日本とは比較にならない。

ひとことで言えばきちんと移動できるように考えてつくってあるのがドイツの道路だ。日本の道路には本当に計画性があるのかかなり疑問を感じる。

象徴的なのが信号機だ。
ドイツの信号機は赤から青に変わる前に一旦黄色になる。黄色のときにドライバーは走る準備をする。

日本は赤からすぐに青だ。しかも、関西は特にそうなのかもしれないが、青から赤に変わっても数台の自動車が走る。必死で止めなければ、自動車は止まらないのだ。

ドイツの信号機は自動車を走らせるためにあり、日本の信号機は自動車を止めるためにある。

そんな印象が強くある。交通インフラとは何か、そこから道路政策を考える必要があるように思えて仕方がない。

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