ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2006年9月22日


国際結婚という言葉
20日付にアップした「結婚の効用」に対してある方から『国際結婚』という言葉はドイツにはないようだ、という興味深いご指摘をいただいた。

確かにこういう使い方は思い当たらない。ドイツ語だけでなく英語でもそうではないだろうか。International marriage などという使い方はあまりきかない。
妻(ドイツ人)にも『ドイツ語で国際結婚ってなんていうのかねえ』
と尋ねてみたが、絶句してしまった。

ウィキペディアで国際結婚の欄を見てみた。説明は納得できるし、歴史や国際結婚のケースを幅広く網羅している。しかし他国語へのリンクはない。やはり外国で『国際結婚』にあたる言葉はなさそうに思える。(※)

                 ※     ※

そもそも欧州の王族は政略結婚=国際結婚のようなものであったことはよく知られている。そのせいで、母国語以外に複数の言語の習得も必要だったようだ。『シシー』のニックネームで有名なエリザベート皇后(バイエルン出身)もハンガリー語は流暢だが、チェコ語が苦手だった。というような面があったらしい。いや大変そうである。私なんぞはドイツ語だけでひいこら言っている。

王族ともいわずとも、妻の父側のご先祖さまをたどっても、けっこういろんな国の『血』が交じり合っているらしい。そんなことから考えると、わざわざ結婚に『国際』をつける理由が見当たらないのかもしれない。

                 ※     ※

ひるがえって日本で国際化という言葉がよく言われ始めたのが80年代。それにしてもそれ以前からも言われはじめていたようだ。

たとえば1968年の経済白書には『国際化のなかの日本経済』という副題がつけられた。

現代用語の基礎知識のサイトを見ていると74年版収録の言葉として『国際化時代の3C』というのがあった。ちなみにこの3Cとは(conference=会議)、コングレス(congress=研究会議)、コンベンション(convention)であった。いわばエリート層で外国人との交流が一気に進んだということか。

                 ※     ※

戦後直後の国際結婚といえば、占領軍のアメリカ人との婚姻が主流と思われる節があるが、ウィキペディアの国際結婚の項によると日本で国際結婚が話題になったのは1980年代以降だという。

その背景については<円高ということもあって海外に出かける日本人が急増し、その結果、外国人との結婚に対して心理的な障壁を感じない日本人が多くなった可能性がある。>と説明している。

この説明には私も賛成できる。国際化という言葉が85年のプラザ合意で円高が急速に進み、輸出型の産業にその弊害が直撃した。このショックが以前から一部で使われていた『国際化』という言葉が一気に使われるようになった。そこへ円高による海外旅行ブームが加わり、前述のような日本人の外国人に対する心理の変化が伴ったのだろう。

ちなみに各自治体で語学指導等を行う外国青年招致事業に『JETプログラム(The Japan Exchange and Teaching Program)』というものがある。このプログラムができたのが1987年、その翌年には自治体国際化協会という財団法人もできている。自治体も『国際化』に躍起になっていたわけだ。

こう考えると、国際結婚という言葉は日本の戦後経済の流れの中で成立した言葉といえるかもしれない。(了)

その後、ある人から“Binationale Ehe ”という言葉があることをご指摘いただいた。『二国間結婚』といったようなところだろうか。この言葉をキーワードにざっくり見た印象でいえば、今日的な社会的テーマになってくるのは60年代後半ぐらいからのようである。ドイツの高度経済成長期にトルコなどからガストアルバイターと呼ばれる外国人労働者が多くドイツへやってきたが、こうしたことが背景になっているようだ。

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