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─新聞をめぐるはなし | ≪前号|次号≫ | ||||||
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【ニュース】 創刊 200 年の地域紙
ドイツ南部のニュルンベルグの『コミュニケーションのためのミュージアム(Nuernberger Museum fuer Kommunikation)』で創刊 200 年を迎えた新聞を振り返る展覧会が行われている。 同市を中心に読まれている NZ(Nuernberger Zeitung) 紙の展示ブースは 75 平方メートル。ミュージアム内にしつらえられたごく小さなブースで昔の紙面を紹介したり、時代ごとの特徴がわかるようになっている。さらに現代の記者の仕事を紹介するために取材用のノートなどが展示されている。また 78 年から 91 年にかけてチーフ編集長を務めたグスタフ・ロエダーさんが展示に協力している。 同紙が創刊されたのは 1804 年。以後、他紙と合併したり、第二次世界大戦直後は一時期休刊の時期もある。その後はかつての勢いはなくなった。約 30 年前にはニュルンベルガー・ナハリヒテン紙などを発行する出版社に買収され、現在も 60 人の編集者によって紙面が作られている。 同市はバイエルン州の州都ミュンヘンにつぐ大都市で交通の要所だったため、常に情報が集まっていた。そしてジャーナリストたちのネットワークも早くに作られた。定期購読者は貴族や軍人、そして公務員といった人たちで新聞はドイツ全国とドイツ語圏の国にまで広がった。紙面ではベニス発のニュルンベルグの商人にとって大切な情報が載るということもあった。あるいは他の新聞が同紙に掲載された記事をつかうこともあったというから、通信社のような機能も果たしていたのかもしれない。 200 年のあいだでフィリップ・フォエストがチーフ編集長を務めた1846-80 年は同紙が勢いのあった時期のひとつだろう。それ以前は情報がテーマ別に編集されていただけだったが、フォエストの編集は意見を盛り込むというところが革新的だった。テーマも読者のニーズに合わせ、国内外の政治のほかに経済を重点的に編集された。 ドイツの新聞は政党的な色合いが反映されるケースが多く、同じ出来事も新聞によってかなり視点が異なる。報道の多様性という点からいうと、フォエストのような新聞人の存在が一役買っているのかもしれない。ちなみに現在の同紙は保守系。ニュルンベルグ地域で発行される他紙に比べてスポーツ関係の記事が充実しており親しみやすい紙面だ。(了) (ドイツ在住ジャーナリスト/高松 平藏)
(2005年2月7日付 『週刊京都経済』掲載分) 【コラム】 新聞と人間関係 エアランゲン市の新聞の歴史をみると、かなり複雑だ。手元の資料を整理してみた限りでも一般向けに発行されたと思われる新聞が 16 紙ある。そして、あるときはが合併したり、既存の新聞にはさみこまれたりと、だいたい 10 年から 50 年ほどの単位でなんらかの変化がある。 最も古いものが 1757 年に創刊された『エアランゲン週刊 テーマと告知報道(Erlangische woechentliche Frag-und Anzeig-Berichte)』という新聞。ちなみに同市は現在人口約 10 万人の街だが同紙が発行された当初はまだ 8,000 人程度の街だった。 新聞の中身は『盗難の被害にあった』など地元のニュースが中心で他には食料品などの値段も記載されていた。そのため、エアランゲンの歴史を書いた本をみると当時の経済状況を知るための基礎資料にもなっているようだ。 さらには『売ります』『買います』あるいは『貸し出します』『探しています』といった情報が掲載されていた。こう書くと今の日本でよく発行されるタウン紙を思わせる。 だが少し考えると、日本ではかつて他人の所有物を譲り受けるのは相当抵抗があった。『ビンテージもの』などといって古いジーンズが売られ、毎週のようにどこかでフリーマーケットが開かれている現在では想像がつきにくいが、30 年ぐらい前までは中古車でも抵抗があったという人は少なくないのではないだろうか。 もちろん中古の品がやりとりされていなかったわけではない。しかしそれは例えば親戚や兄弟姉妹からの『譲渡』のようなやり取りだった。いわば血縁などの閉じられた人間関係の中で成立していたモノの流れであり、モノと持ち主が同一視されていることになる。大げさにいえば殿様から下賜された刀などと本質的に近い。刀には『殿様』の存在が重なっている。一方、新聞やタウン紙は開かれた公共の空間だ。そこへ投げ出されるモノには持ち主の存在が重なることはない。 こう考えると、エアランゲンの最初の新聞が発行された時代、すでにモノと持ち主の人格がきっぱり離れていたということがいえそうだ。 新聞は欧州の市民社会をつくったといわれるが、ここでいう市民像とは血縁や地縁をはなれて、都市という公共空間の中で個人と個人の関係が生まれてくるイメージである。その関係性が基本になって都市における個人の義務と権利が明確になっていった。 モノと人の関係からいうと、日本もここ数十年でものすごい勢いで変化している。つまり人間関係の変化がおこっていることになる。(了) 【短信】 無料日刊紙Metro、フランスで無料の経済雑誌Metro Financeを創刊 無料日刊紙 Metro は、経済週刊誌 Le journal des finances と契約し、来月 14 日に無料の経済雑誌 Metro Finance を創刊することを発表した。この雑誌は 36 ページからなり、3 ヶ月に一度発行される。 創刊号のメインテーマは、不動産で、30 万部発行されるという。(了) 【emex特約】 2005年3月22日付 『emex (europe multimedia express)』より転載 (『来月』などの日時を表す表記は発行当日のものです) 【編集後記】 週末と新聞 ◆新聞をめぐる生活様式で、日本には見当たりにくいのが週刊紙。週末にゆっくり新聞を読むという人がけっこういます。日本でいえば、『日曜日の朝に討論番組を見るお父さん』というのが比較的近いイメージかもしれません。今回の記事で登場した NZ 紙も週末はスタンドで売れる分がのびるようで、平日に比べて売り上げが伸びます。 ◆主たる週刊紙というのは、たいてい全国紙で、100 ページ近くあります。いわゆるクオリティ・ペーパーですが、中道・保守的な論調の新聞の場合、購読層の像もけっこう明確で、マネジャークラスや富裕層が対象にしているのが伺えます。たとえば高級車や不動産、中には小型船の情報なども掲載されていますし、『アート市場』などというページを設けているところもあります。求人なども研究機関や開発部門のものが目立ちます。あるいはMBA取得のためのプログラム情報なども目につきます。 ◆ただ、最近は高級紙のデザインをみると、かなりビジュアルに比重をおきつつあります。たとえば私は『ディ・ツアイト(Die Zeit)』という週刊紙のレイアウトや編集に品格を感じて、好きだったのですが、5、6 年前のものにくらべると、かなり写真を多用し、カラー化しています。私の好みからいうと、ちょっとがっかり、というのが本音。 ◆IT の興隆とともに紙の新聞をめぐる議論が行われて久しいですが、新聞社はいよいよ次代の経営を本腰で考えていかねばならない状況で、そうした事情が無料新聞の増加や高級紙のビジュアル化というかたちで出てきています。 ◆先月末のドイツはイースター。比較的のんびり過ごしたのですが、この時の『ディ・ツアイト(Die Zeit)』の一面にはカラーで大きなウサギ(イースターのシンボルのひとつ)の写真が登場していました。(高松 平藏) |
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■■インターローカルニュース■■ 発 行 : インターローカルジャーナル http://www.interlocal.org/ 発 行 人 : 高松平藏 発 行 日 : 不定期 Copyright(C) Interlocal Journal |
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