■■インターローカル ニュース
■■ Interlocal News 2004-09-07 (vol. 104)

 

─ドイツの中の日本 前号次号

 

□□ 目次 □□
【ニュース】 ニュルンベルグに茶室がオープン

【ニュース】 Butoh、もうひとつのメイド・イン・ジャパン
【編集後記】 異文化交流の質は勘違いの質

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【ニュース】
ニュルンベルグに茶室がオープン

 ドドーン。
 薬局やレストランなどが並ぶニュルンベルグ市内のショッピング・センターに和太鼓が響いた。7 月 3 日に行われた『JAPANFEST 2004(ヤーパン・フェスト)』の一幕だ。

 土曜日の昼過ぎから始まったこの催しには和太鼓の演奏をはじめ、空手や弓道の実演、俳句のライブ、尺八のコンサートなどが会場のショッピングセンターで行われた。

 ほかにも日本関係の書籍販売や書道、絞、生け花や盆栽などの展示、囲碁や折り紙、MANGA のコーナーも用意された。また、プログラムには太極拳や韓国のテコンドーの実演なども含まれている。しばしば、ヨーロッパとアメリカをひとくくりにして『欧米』としてしまうのと同様の感覚を思わせるが、多くの人でにぎわった。

茶室『幽玄庵』の前に立つゲルハルト・スタウフェンビールさん
 この日の目玉は裏千家の茶道グループ『直心茶道会 ニュルンベルグ』の茶室『幽玄庵』のオープニングだ。ショッピングセンターの一角の室内にしつらえられた。

 同グループは 2001 年 2 月に設立。この年の 8 月から幽玄庵をつくりはじめた。内装のために筆で文字が書かれた和紙を日本から取り寄せるなどの苦労があったが床の間もある 4 畳半の本格的な茶室ができた。代表は 30 年前から茶道をはじめたというゲルハルト・スタウフェンビールさん。同氏は『Sensei』で、現在約 20 人の生徒に教授する。

 さて、日本とドイツの文化交流の歴史は古く、明治維新にまでさかのぼる。第二次世界大戦中は民族的な伝統に根拠を求めたナショナリズムと同盟のおかげで、ドイツでは組織的に華道や茶道の紹介がされたという。そのため、ある年齢以上のドイツの人は日本の伝統文化に触れたという人は少なくないようだ。また『日本の魅力を語るのは難しいがドイツ人と日本人は似ている。初めて日本を訪ねたとき、急に家に帰ったような気分になった』(スタウフェンビールさん)というように異文化でありながらどこかしら共通点を見出す人もいる。

 若者にとっては MANGA が日本文化の新しい扉になりつつある。6月に同市に隣接するエアランゲン市で行われたコミックのイベントでは日本体験のコーナーが登場し、同グループは茶道の紹介を行った。コミックを目当てにきた若者や子供たちが熱心に見る姿があった。また MANGA 人気と伴走するかのようにドイツ全国で日本文化の催しも増えているという。明治維新やナショナリズムの時代を経て、新たな文化交流のかたちがはじまろうとしている。

(『週刊京都経済』 2004年7月19日付に掲載)





【ニュース】
Butoh、もうひとつのメイド・イン・ジャパン


 Butoh(舞踏)は 1960 年代に生まれた前衛のダンスだ。バレエはすらりと立ち、均整のとれた動きに美しさがある。それに対して故郷の東北にこだわった“創始者”土方巽は舞台に横たわり、蟹股(がにまた)で歩き衝撃を与えた。

 80 年代には海外で活躍する舞踏家や舞踏グループが増え、それに伴い日本人以外の『舞踏家』も出てきた。欧州では日本人のダンス・アーティストが公演を行うときに“Butoh”とちらしに書き込むだけで客が増える。

 ドイツ南部のニュルンベルグにも舞踏アーティストがいる。ダマリス・ヒェアトル-グロェックナーさん
(=写真)がその人だ。

 子供のときからダンスに興味のあった同氏は 94 年に石井光隆さんの舞踏公演を市内で見る。それまで見たことのない身体表現に強い印象をうけた。それがきっかけになって佐々木満氏(ブッパタール)や吉岡由美子氏(ベルリン)など在独の舞踏家に教えを請う。

 日本人以外の『先生』もいた。メキシコの舞踏家、ディエゴ・ピニョン氏は 90 年代、たびたびニュルンベルグでワークショップを行った。そのたびに参加した。

 初めての公演は 98 年。ベルリン近郊でのことだ。吉岡氏の振り付けによる作品だった。2000 年にはピニョン氏の振り付けで踊った。その後、体調がすぐれない時期が重なり、活動を休止せざるをえなかったが、今年 2 月にはペイント・アーティストとコラボレーションのかたちで公演を行った。同氏自身がワークショップを行うようにもなった。

 さて、舞踏の魅力とは何なのだろうか。同氏は『メタモルフォーゼ(変身)が舞踏の特徴』だと語る。舞踏はイメージする何かに変身して動きをつくる。そのときに身体にしみついた伝統や風土、歴史がおおいに影響する。踊り手自身が背負っている身体を踊りに昇華させるというところに普遍性がある。『私の先生たちはそれぞれの文化背景や伝統をもっていて、独自の表現のしかたがあった。舞踏は人によって違う』(同氏)。

 ヒェアトル-グロェックナーさんは数年前からテアトロ・タンゴという新しいタンゴも吸収しつつ自分の舞踏を追及し続けている。『舞踏はジャンルを超えたコラボレーションができるのが面白い。また、日本の舞踏が他の国々でどんな影響を与えていくか、逆に欧州の舞踏が日本にどんな影響を与えるか、興味があります』という。MANGA (漫画)に先駆けて静かに広がっている日本の芸術がここにある。(了)
(高松平藏)

(『週刊京都経済』 2004年3月29日付に掲載)





 【編集後記】
 
 異文化交流の質は勘違いの質


◆日本で行われるドイツの文化イベント、ドイツで行われる文化イベント。誤解を恐れずにいえば、どちらもどこか不思議なところがあります。たいてい、こういったイベントのスタッフには両方の国を知る専門家がいるはずですが、なぜか奇妙であります。

◆なにが奇妙なのか。いろいろ考えられますが、主に主催者側とお客さんに原因があるのだと思います。たとえばドイツのビール祭りを模しても、日本のイベント会社がいつもの制作の手順を踏んでしまうので、結局はどんなにドイツのビール祭りを知っている人がいても、実際に行われるのは実に日本的な枠組みのイベントになってしまうわけです。ドイツ文化を日本式に料理してしまう。極端な例は百貨店なんかが行う『ドイツ・ハム』『ドイツ・ビール』のチョイスや売り方でしょう。

◆あるいは、イベントにやってくるお客さん。ドイツで行われる日本祭りには、多くの『日本ファン』がやってきます。さすがに『日本=フジヤマ・ゲイシャ』という前世紀的な誤解はありませんが、何かしら大きな期待とか思い込みで誤解を解消してしまっているようなところを感じることもあります。

◆そもそも異文化の理解を進めてもどうしても誤解や勘違いが残ります。良質の異文化交流とはこの誤解や勘違いをどう考えるかというところにあるのでしょう。その点、 MANGA やアニメ、ゲームなどのポップ・カルチャーはストレートな感性で受け止められる分、ひょっとして誤解は少ないかもしれません。

◆ところで、前回帰国したとき、大阪の下町が舞台になったアニメ 『じゃりん子 チエ』の DVD を購入したのですが、親子、夫婦、師弟といった人間関係の機微がお話の背景に織り込まれ、これを単純に翻訳しても理解は及ばないだろうなと思いました。異文化、特に日独の関係については我が家はそもそも当事者であるのですが、この複雑さと面白さはずっとつきまといそうであります。やれやれ。(高松平藏)



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発  行  人 : 高松平藏 
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