■■インターローカル ニュース
■■ Interlocal News 2004-05-21 (vol. 99)

 

─環境技術移転と環境文化 前号次号

 

□□ 目次 □□
【ニュース】 環境技術、ニュルンベルグから中国・深センへ

【ニュース】 自転車の街、4半世紀
【編集後記】 自転車道へのコンセンサス、19世紀の文化

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【ニュース】
環境技術、ニュルンベルグから中国・深センへ

左からエドガー・シッカー博士、カール-ヴェルナー・イェーガー博士、ブルクハルド・イゲーアー博士(以上技術系専門大学の教授)、ロバート・シュミット博士(商工会議所)。技術移転の立役者たちだ。今年4月、深センで行われたシンポジウムのポスターを囲んで。
 ドイツ南部のニュルンベルグ市(バイエルン州)とその周辺地域は深セン(広東省)へ環境技術を移転するプロジェクトを行なっている。

 具体的には空気、水、エネルギー、ゴミといった分野の技術を扱い、会社のプレゼンテーションや個別の紹介のほか、シンポジウム、ワークショップを行っている。

 一方、深センは 1980 年に経済特区が設立され、中国の対外窓口となった地域。情報通信産業の製造センターおよび、中国のハイテク・新技術成果の取引センターになりつつある。また環境対策にも力をいれており、2002 年には世界環境デー記念イベントの開催地となった。

 両地域の交流の発端は 90 年代半ばまでさかのぼる。このころ、ニュルンベルグ市内にある技術系の大学、ゲオルグ・シモン・オーム専門単科大学で環境と品質マネジメントの統合についての研究プロジェクトが立ち上げられた。バイエルン州の経済省、環境省、科学・研究・芸術省の肝いりで行われたものだった。

 プロジェクトは一旦終了するが、97 年にプロジェクトに参加していたニュルンベルグとその周辺の10余りの企業はほぼ同時期に ISO9600 を取得する。それを機に環境技術についてのコンセプトを中国へ移転できないかという構想がでてきたのを受けるかたちで、同専門単科大学を中心にした技術移転のプロジェクトチームが動き出した。ちなみに 98 年にニュルンベルグ地域と深センはパートナーシップの関係を結んでおり、ニュルンベルグにも深センの窓口になる事務所がある。

 ブレーク・スルーになったのが、2000 年 6 月の訪問。州経済大臣が同行したことにある。技術移転の中心人物、カール-ヴェルナー・イェーガー博士は『それまで中国側のキーパーソンとなかなか会うことができないといった問題があり、進展はあまりなかった。しかし政治がからむと一気に中国側の受け入れ態勢が変わった』という。

 勢いにのって、その年の10月に深センで行われたチャイナ・ハイテック・フェアでドイツ側からエネルギーと環境に関する12の企業が出展した。約 500 件の問い合わせがあったという。あわせて品質マネジメントのワークショップも行った。

 2001 年秋には深センなど 4 箇所で技術移転のためのトレーニングセンター設立の合意に達した。今後は予算の確保など問題もあるが、ニュルンベルグ地域が自らはぐくんだ技術や知的財産を活用して世界の先端地域と結びつき始めた。(了)

([『週刊京都経済』 2004年5月3日付掲載)





【ニュース】
自転車の街、4半世紀


 ドイツの冬、雪が積もった朝は市の除雪車が出動して迅速に道路をきれいにしていく。しかし、『エアランゲン市は自動車道よりも自転車道のほうがきれいね』とこぼす人もいる。

 同市はドイツ南部の 10 万人の都市。約 25 年前に前市長のディトマー・ハールベーク博士
(=写真)のリーダーシップにより整備された。

 このほど、その歴史と最近の統計が地域の環境課題を解決していく『Agenda21』に取り組むグループのホームページに掲載された。

 このホームページによると、現在市内の自転車道は 200 km。全道路の半分の長さ。『幹線自転車道』にいたっては雪の日の除雪作業も完璧に行われている。市内を移動する人の自転車の割合も1974年当時はわずか14%だったが、2000 年の段階で 33%にまで増えている。

 また、市内の自動車登録台数が 30,863 台( 74 年)だったものが 2000 年には 51,400 台を数えている。それにもかかわらず、市内を移動する人の自動車の利用台数はほぼ横ばい。数字の上でも『自転車の街』であることが浮かび上がる。天気のよい日などは市内で 2〜3 万台の自転車利用者がいるという。

 自転車道は快適だ。4 車線の幹線自動車道の交差点でも下には自転車道がつくられ。また経済政策重視の現市長の時代にはいっても整備は続けられ、昨年も自転車専用のトンネルが増えるといった具合だ。

 もちろん、低予算で自転車道をつくることも行われている。特に数年前から各自治体は財政難。それだけに知恵のだしどころだ。具体的には既存の道路に白線をひいて、自転車道に分割したり、市街の細い道路などは看板や障害物を設置するだけで、自転車専用道にするなどの方法がとられている。

 ここまで本気で自転車道を整備できるのは体制づくりの妙にある。ハールベーク前市長は財務、警察、都市計画、不動産、土木、ドイツ自転車クラブといった道路に関わる部署からスタッフを集めてプロジェクトチームをつくり、自らリーダーになった。このチームは今も残っており、縦割り行政の欠点を補っている。

 またコンセプトにも注目すべきものがある。自転車、歩行者、自動車といった各交通手段を選んだ人が最適速度で安全に移動できるようにという考え方があり、いわば『平等な交通システム』の構築が目的。環境対策のみならず都市の質を高めるためのコンセプトでもあった。(了)


(『週刊京都経済』 2004年2月23日付掲載)




【編集後記】 
自転車道へのコンセンサス、19世紀の文化

◆先日、友人の 40 歳の誕生日パーティに行きました。誕生日を大切にするドイツの人たちは、30、40、50といった節目には盛大なパーティをします。さて、ここで出会ったのが、以前もある展覧会で会ったことのある夫婦、年齢的には 50〜60 歳ぐらいでしょうか。20 キロ離れた隣町のニュルンベルグから自転車でやってきました。話をきくと、昨年はオーストリアまで自転車で休暇の旅行をしたとのこと。

◆環境問題と関連して自転車がクローズアップされますが、ドイツの歴史をかえりみると、サイクリング・クラブが19世紀末にから盛んになってきます。この時期、ワンダー・フォーゲル、裸体体操学校などが生まれます。いわば肉体を文化としていく動きで、近代の過渡的な時期だったといえるでしょう。

◆近年の自転車道への発想はスピードや大量生産といった 19 世紀的近代の価値観からの転換であります。自転車道の成功は環境問題、交通の平等、といったコンセプトの強さが大きかったと思います。しかしながら、ドイツの自転車愛好家の様子を見ていると、19 世紀の自転車クラブの脈絡を私は見てしまいます。もう一歩踏み込むと、むしろ、こうした下地があったからこそ、自転車道へのコンセンサスが得られたのかもしれません。当時、『6 日間自転車競走』といったレースも行われていますが(映画にもなった)、今も街の中で自転車レースがよく行われています。

◆さて、誕生日のパーティのほうは、午後 3 時ごろからはじまりました。会場は友人が住む共同住宅の前に広がる芝生の広場。大きなテントを張り、椅子をならべ、豚が一頭、丸まる焼かれています。地元のビール会社から樽ごと買ってきたビールで塩味の効いた豚の丸焼きを堪能しました。それにしても、死生観の違いか、誕生日に対するエネルギーのつぎ込みようには毎度のことながら驚かされるのでありました。(高松平藏)



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発  行  人 : 高松平藏 
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