ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2011年6月27日



イタリアでのグローバル時代のお説教


イタリアでの休暇で、あるドイツ人の少年と出会った。私は彼の言動に対して、日本風にいえば『お説教』をすることになった。その一件を書きとめておく。

中国人?
今回過ごしたビーチ。ドイツの人にとってイタリアは代表的な休暇地のひとつ。イタリアにとっても経済効果は高い。
2年に一回ぐらい、友人家族と一緒にイタリアの海沿いのキャンプ場で休暇を過ごす。今年も6月に10日ほどベネチア近くの海で過ごした。

このキャンプ場、小さな村のようなしつらえで、道が整備され、キャンプ場の中心にはレストランとスーパーがあり、毎晩、野外でディスコやショーなどが行われる家族向けのキャンプ場だ。

10日間滞在するテントにも、簡単なベッドがあるほか、コンロや冷蔵庫、食器類、バーベキューセットもそろっていて自炊できるので安あがりだ。そして毎日のんびり海岸ですごす。

客は圧倒的にドイツから来る人が多い。
外国系市民が15%いるエアランゲンの街でアジア系の私が歩いてもさほど違和感がないが、このキャンプ場は純度の高い『ドイツ人村』といってもいいような雰囲気で、アジア系の私はとてもよく目立つ。

近年ポーランドやチェコなどから来る客もいるが、今回の場合、私の見た感じだと7割がドイツ人。2割がイタリア人。1割がその他といったところだろうか。こんなところだから看板やキャンプ場で時々流れるお知らせの放送は現地語のイタリア語、共通語の英語、そしてドイツ語だ。ほとんどのスタッフもドイツ語が話せる。

実際、これまでの経験でいえば、外見がアジア系・アフリカ系という人は、私のように連れあいが欧州系というケースがほとんど。こういうキャンプ場も何回か過ごしているので、その雰囲気には慣れた。それでも休暇であるにもかかわらず、私にとって、抜群に居心地がよいというわけではない。

一方ここは、家族連れがほとんどなので、子供同士の交流が始まりやすい。今回も隣のドイツ人家族の少年とわが家の子供たちの交流がはじまった。

しかし、一緒に遊びはじめて、最初の話しが『ところで、あんたら中国人か?』だった。この時、私の妻はいなかった。

世界は、そう単純じゃないんだよ
『中国人か?』ときいてきた少年は10歳。大柄で、ドイツのジャイアンという感じだ。また言動を見ていると御世辞にも聡明とはいいがたい少年だった。

私たちは彼に中国人ではなく日本人であるということを言ったところ、福島がどうのこうのと言いだしたが、もう相手にしなかった。

次の日、悪気はないのだろうが、私の息子に『おチビ日本人、遊ぼう』と言いながら私たちのテントにやってきた。息子は9歳。ドイツでは小柄なほうで、容姿は私に似ていてアジア系だ。だがこの時、息子は他の子供と遊んでいたので、少年は去っていった。

しばらくすると、彼はまた戻ってきた。
私は長女と2人でボードゲームをして遊んでいた。退屈そうな少年は『何してるの』と私のそばに立った。私はゆっくり振り向いて口を開いた。

『あのなあ、君にちょっと言っておきたいことがあるんや。いいか、私はアジア人だが・・・』と言いかけた。すると少年はあわてて、『う、うん、あなたは中国人じゃなくて、日本人です』と言った。

『それはそうだが、私の言いたいことは、アジア人といっても、日本人だけじゃなくて、中国人や韓国人もいる。つまりアジアにはたくさんの国があるということだ』
『うん・・・』
『それから、君はヨーロッパ系の容姿をしているが、フランス人か?』
ドイツ人の彼にわざわざそう問い詰めた。最初の元気はすでになく、小さな声で『僕、ドイツ人・・・』と答えた。
『そうやろ。ヨーロッパ系の人間にもドイツ人もいればフランス人もいる。ヨーロッパにもたくさんの国がある。わかるやろ』
『うん』
『それにだ、私の子供たちはアジア系の容姿に近いが、国籍でいえば日本人でもあり、ドイツ人でもある(二重国籍)。世界は単純じゃないんだよ』
『うん、わかった・・・』

いい影響があったと願う
ドイツなどは21世紀になる直前まで移民国家であることを建前として認めなかった。しかし実際は外国系市民や外国を背景にした市民は多い。容姿と国籍、ルーツは多様化している。今の時代、そう単純なものではないのだよ。というグローバリゼーション時代の説教をしたかたちだ。

その後、その少年はやたらに私になついてきて、ココナッツをくれたり(と書くとジャングルで友達になったおサルさんみたいだね)、日本語の文字を見て『これが日本の文字?きれいだなあ』などと随分と殊勝になったので驚いた。

実は純度の高い『ドイツ人村』では、外国人の私にとって毎回、程度の差はあるが不快なことがおこる。この少年の言動もそのひとつだ。

ただ、この件はすこし違った。
『お説教』は彼にとって明らかにインパクトがあった。少年自身の視野が広がったとか、大げさにいえば、ひょっとして彼の将来になんらかの影響を与えたかもしれない。そう思うと、楽しい気分にもなる。私にとっても彼にとっても、イタリアでの面白い出会いだったかもしれない。

彼は私たちより先にキャンプ場を出たのだが、その時、私しかいなかった。少年は『さようなら!あなたの息子さんにもよろしく言っといてください』と手を振り、去っていった。(了)


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