■違和感を覚えた議論
まだ日本に住んでいたころの話で、ずい分以前のことである。まちづくりで成功しているとされている町で、私は
まちづくりに関する話し合いの場に居合わせたことがある。
そこでの議論に私は強い違和感をおぼえた。なぜなら暗黙のうちに前提になっていた目的が観光客を呼びこむことであったからだ。くだんの町はもともと観光地であり、まちづくりと観光資源の整備は密接な関係であることは分かるが、それにしてもこれは『まちづくり』というより、マーケティングの分野と考えるべき方向性だった。
途中で『なぜ外の人間を対象にした取り組みばかりをするのか。まちづくりとは住民による住民のためのものではないか』といった旨の意見を私は述べた。
しばらく人々の反応はなかったが、ある大学の先生がポツリとこんな旨の発言をした。『イタリアに留学したことがあったが、そのときに様子からいえば、まちづくりとは外の人間を呼ぶことではなく住民のための取り組みだった』
■目的はちがう
私は観光産業については不案内だが、おそらく日本の観光は大資本の企業を中心にまわってきた。あるいは行政が担当してきたのではないか。
こういう前提にたてば、私が参加した町の『まちづくり』の値打ちが分かる。つまり『大資本や行政に頼らずに、地元の人間が知恵をしぼってマーケティングを行った』というのが正しいのだ。
私の理解でいえば、まちづくりとは住民が自らの生活環境を整えることである。それは景観、文化、福祉、教育、経済といった生活の質を支えるもの全般をさす。したがって、観光客が多くやってきて、町にお金を落としていくようにすることは、まちづくりの一環ではあるが、それが唯一の目的ではない。
ドイツの自治体でも、なんらかのマーケティングの機能を持っている。
19世紀になって観光が盛んになってくると、『美化協会』といった町全体を観光地として美しくしていくための非営利法人が地域で設立されるような動きが見られる。こういったものがやがて、『都市マーケティング協会』のようなかたちに展開される。
現代のドイツの自治体マーケティングの取り組みをみても、まちづくりとは基本的に区別されている。もちろんマーケティングとまちづくりは重なる部分や連携を必要とする部分はあるが、目的はそもそも異なる。
■地ビールを見ても・・・
この日独の認識の差は地ビールにも相似形のものを私は見る。
90年代にビールの製造に関する法律が緩和されて、日本では地ビール会社が数多くできた。ドイツの感覚でいえば地ビールは地元の人に消費されるのが基本だが、日本では『観光資源』という趣が強く、観光地で売られるようなケースも少なくないようだ。つまり『輸出品目』と位置づけられているということだろう。
ドイツの場合、地ビールはまさに『地産地消』なのだが、地元で文化や科学の分野で地ビールを位置づけるような動きが伴う。そして地元のアイデンティティにまで昇華していくのだ。
もちろん、市場での競争力がなければビール会社の倒産につながる。そのためビール会社は品質の確保、マーケティングなどにも力をそそぐ。それにしても地元の『内側』から地ビールをじんわり支えていく動きがあり、それらがビールを地元の一部にしていくのだ。
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ひるがえって、日本ではマーケティングとまちづくりの両者を一緒くたにして理解されているケースがけっこうあるように思う。その結果、まちづくりとか、都市づくりといえば、その地域が観光地でなくとも『外の人を呼び込む』という発想につながりやすいのではないか。(了) |