■幼稚園のインターナショナル・フェスティバル
子供たちが通う幼稚園、といっても日本でいうところの学童保育を兼ねている幼稚園だ。ドイツの小学校は午前中に終わるが、わが家の子供たちも、その後、2時半ごろまで幼稚園で過ごしている。
この幼稚園で、ある土曜日の午後、インターナショナル・フェスティバルがあった。
エアランゲンは外国人比率15%程度。日本の一般的な街と比べると、国際色が豊かといえよう。それだけに、フェスティバルのプログラムも多彩だ。そして外国人のお父さん、お母さんの腕の見せ所でもある。
ざっと見ていくと、『国際ビュッフェ』には様々な国の手料理が並び、庭やホールではアフリカンダンス、ロシアのダンス、ブラジルのカポエイラなどの小公演がある。簡単なアメリカンフットボールなども行われた。指導しているのは保護者たちだ。
国際的な子供の支援を行う非営利法人や、私の知人が行っている茶道のグループも手伝いに来てくれた。これらの応援がさらにフェスティバルを盛り上げた。またこの日はスゥエーデンの幼稚園からも先生が数人やってきたほか、副市長も視察にやってきた。フェスティバルは地元紙でもニュースになった。
最後はサンバ・カーニバルの大団円でおしまい。幼稚園の給食を担当している女性がブラジル出身で、彼女が自身のサンバチームを率いてきたのだ。この日はお天気もよかったのでおおいに盛り上がった。
■一過性でないところがいい
このフェスティバルのよいところは、幼稚園が『国際年』として一年間を通じてプログラムを組んでいることである。だからこの一年、今週はブラジル、来週はアメリカ、チュネジア・・・といった具合で国旗や地図を作ったり、写真集やビデオを見たりしてきた。チベットがテーマになったときはバター茶を作って飲んだりもした。
こういう普段の取り組みでも『外国人保護者』の出番である。
私も長男の『ハリネズミ組』から依頼を受けて、長男とともに着物姿で2回にわたり日本のプレゼンテーションを行った。
つまり冒頭で述べたフェスティバルはあくまでも『国際年』のクライマックスなのだ。一度の大イベントで『はい、おしまい』というわけではないのがよい。
■国際年の意義
もっとも、注意しなければならないのは、この街の特性だ。同市は大学街であり、グローバル企業のシーメンス社の一拠点である。そのため外国人といっても研究職やホワイトカラーというケースが多く、移民・難民などに伴う深刻な外国人問題は少ない。
そのせいか、フェスティバルもどこかのんびりとしていて、のびのびしている。最後のサンバでは、派手な飾りつけて、褐色の肌をはじけさせているサンバチームの横で、スカーフ姿のモスリムのお母さんが一緒に体をゆすっているような風景などは、その象徴のように思えるのだった。
ともあれ、私の理解でいうと、子供というのは10歳ぐらいをメドに、大人たちが持つ偏見を自分の価値観に取り入れる傾向が強くなる。それだけに、10歳以下の時代に『外国人がいる』という雰囲気、しかも楽しい出来事として体験することは意義がある。
■ファミリー・ビジネス
一方このフェスティバルでは、ファミリー・ビジネスのごとく、わが家も総出であった。妻は茶道グループとの交渉を行い、幼稚園でアテンドを行った。次女は浴衣を着てお茶席のアシスタントをした。私は例のごとく写真撮影を担当し、『国際ビュッフェ』のために、おにぎりを作っていった。
また、フェスティバルのプログラムの中にはアラビア語、日本語、ドイツ語で書かれた名札を作るコーナーがあった。私もアラビア語を操る外国人のお父さんと一緒に名札書きを行った。いずれも横書きである。そんなことをしていると、あるドイツ人のお父さんが表記について質問してきた。
『アラビア語は右から左へ書くんだ』
とアラビア父さん。そして次にドイツ父さんは日本語について私に尋ねた。
『ドイツ語と同様に左から右へ。
しかし上から下へ書くこともあって、
その時は右上が始まりだ』
ドイツ父さんは目をぱちくりさせている。
『世界はそれほど単純じゃないってことやね』
と私は言葉をついだ。
彼は『いやあ、まったくその通りだ』といって笑った。(つづく)
|