ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2008年4月23日



私の地域デビューとカメラ


出自からいえば現在、私は『関西系エアランゲン市民』だが、最近、少し地域社会に溶け込んできた。


写真のおっちゃん
恥ずかしながら、私のドイツ語はいまだにお粗末で、最近では子供に訂正されることもしばしばだ。しかし10年前といえば、からっきしだめだった。そのころドイツを訪問したときに役立ったのがデジタルカメラだった。

当時、デジタルカメラはまだほとんど普及していなかった。それだけに、撮影したものがすぐにモニターで見れることは珍しく、これが人々とのいいコミュニケーション・ツールになったものだった。

数年前からは子供たちが通う幼稚園の『写真のおっちゃん』と化している。催しがあると、幼稚園から頼まれて、撮影することがしばしばだ。

最近は近所の教会がらみで撮影を依頼されるようなことも出てきた。

こういったことは私自身にとって、地元に溶け込めてきたという実感が伴う。出自からいえば、現在の私は『関西系エアランゲン市民』であるが、カメラが外国人である私を地域デビューに導いてくれたかたちだ。

ところでフォト・ジャーナリストの吉田ルイ子さんの著書『ハーレムの熱い日々』を読んでみると、同氏が住まいしていたハーレムで撮影をはじめたことが書かれていて、文章からはカメラが重要なコミュニケーションのツールになっているのがわかる。私の状況や国、時代も異なるが、人との関係のでき方を見ると、私なりに実感をもって理解できる。10代のころ読んだときには解らなかったことだ。

勝手がちがうが・・・
それにしても、写真撮影は難しい。
まずは、写真とは基本的に誰でも撮影できるものである。それだけに『頼んでよかった』と思ってもらえるような、期待にこたえられる写真を撮るのはけっこうプレッシャーになる。

それから、そもそも私にとって、カメラは趣味というわけではない。普段、記事のために取材をするが、そのとき記事に添える写真をパチリと撮る必要が出てきたというのがはじまりだ。

必要にせまられて持ちだしたカメラだが、それでも取材した人のポートレートやイベント、劇場など撮影するので年間の撮影枚数はけっこうある。しかも、自分のための記録というより、記事とともに読者に見せることを意識して撮影するから、年数とともに撮影の技術や現場での振舞い方、アイデアなどの蓄積はできる。だから、少しはましな写真は撮れると思う。

それにしても、記事のための写真というのは、極端にいえば100枚撮影した中で1枚いいのがあればそれでいいのだが、『記録のためにお願いします』という依頼をうけると、これまた難しい。1枚のキラリと光る写真をとるのとは少し勝手が違うからだ。

余談めくが、日本のあるフォト・アーティストはアルバイトで写真屋さんで働いていたことがあるという。そんな仕事をしていると、高校の修学旅行に随行することもあったそうだ。芸術作品として撮影するのとは勝手がちがって大変だろうと思ってたずねると、『そうなんです』と大きくうなずいた。

『しかしね』と言葉を継いだ。『男子学生に人気のある女子学生を聞き出して、少し多目にとるんですよ。すると焼き増しの注文が増える』と笑った。なるほど。私には考えもおよばない写真屋さんの商売のためのテクニックだ。

地域デビュー
ところで、私は地域デビューという言葉を冒頭で用いたが、日本での使われ方をみると、違和感を覚えている。いうまでもなく、この言葉はリタイアした人がようやく地域社会でなにがしかの活動をするという意味だからだ。

私の理解でいうと、職住近接で労働時間の短いドイツでは普通の会社勤めの人でも地域社会でなんらかの活動をしている人はけっこういる。そしてこちらのほうがまともだと思う。こういった活動は老後に『デビュー』するようなものではない。それにドイツ語で『地域デビュー』という言葉はそもそもない。

それに、自分が住む地域の人からなにがしかの能力を買ってもらって、期待されるということは、基本的にうれしいものである。ここで感じる喜びなどは仕事で得るものとはまた少し違う。

日本企業の実態は地域活動どころではないが、それにしてもリタイア後にしか『地域デビュー』できないというのはちょっともったいない人生だと思う。(了)


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