ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2008年4月21日



チベット問題、脱葬式仏教につながるか?


チベット問題で日本の仏教界もそれなりに発言している。ひょっとして日本の仏教の体質も変わるかもしれない、という気がした。

善光寺、ドイツの新聞にも
購読している19日付け『エアランガー・ナッハリヒテン』紙で善光寺がチベット問題などを理由にオリンピックの聖火リレーの出発点になることを辞退したというニュースが載った。『外国に住む日本人』という立場からいえば、ようやく日本の仏教界の声が外国へも伝わったという感想を持った。

そもそもドイツにいると、チベット問題に関する日本の姿勢はあまり聞こえてこない。日本側がチベット問題について外国プレスにあまりアピールしていないという理由もあるかもしれない。

また、普段からフランスやイギリス、ドイツなどに比べて、日本政府の『声』とか『意思』というものが聞こえてきにくいものだ。これはこれで問題視する必要があると思うが、ここではおいておく。

それからチベット問題は仏教という宗教の問題でもある。ダライ・ラマが来日したら仏教界でもけっこう話題になり、仏教界の要人が対談するなどのことも行われている。それだけに仏教界の声がないのも、どうかと思う。

宗教の役割は?
日本の仏教界には問題意識をもっている寺や僧侶もいる。が、全体像でいえば『葬式仏教』と化していて、国際問題はいうにおよばず、日本国内の問題ばかりか、日常の地域社会に対してもそれほど関心をもつような動きはほとんどないというのが私の理解だ。

それでも検索してみると、それなりに日本の仏教界がチベット問題に声明文を出したりしているケースがあることを知った。

私自身は仏教徒であるが、頭に『いちおう』とつく。まあ、生まれた家に仏壇があったから、宗教は『仏教』だろうという程度の仏教徒である。

しかし、ドイツに住んでいると、キリスト教や社会問題や政治問題にも一定の立場を表明する。地域社会をみても、社会に根をおろしているのがよく見える。そして、こういう宗教の存在や働きが社会規範や社会的安定に一役買っている、ということも肌感覚でわかってくるのである。それだけに『では、日本の仏教はどうなの?』と思えてくるのだ。

また余談めくが、私の故郷は小さな農村でお寺がある。私が子供のころ健在だった住職さんといえば人望が厚く、村人のよろず相談を引き受け、村のためにあれこれ尽くしていた人だった。そういう記憶とドイツの教会の様子がしばしばだぶり、懐かしく思うのだ。そして同時にひどくまっとうに見える。

報道で知り得た範囲だけでいえば、私は中国の姿勢には大きな違和感を覚えている。それだけに善光寺の報道はまっとうに感じる。だが、見方によるとそれ以上に、チベット問題が日本の仏教界の脱葬式仏教につながる可能性も秘めているように思う。(了)


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