■質問には答えません宣言
ドイツに住んでいると時々、私のもとに質問のメールが来る。内容は留学を考えているが、エアランゲンの住環境はどうか、といったものから具体的な企業情報など様々だ。質問者は学生をはじめ医師、会社員など、一般に高学歴と思われる人たちである。
当初は私もわかる範囲で答えたり、私の信条から公開してもよいと判断できるところまでメールで回答していた。また私自身、学生のころ『学外の大人』たちからいろんなことを学んだ経験があるだけに、学生からの質問にはいろいろ答えて、力になりたい気持ちはある。
ところが、である、私が送った回答に対して一言のお礼のメールもないということがほとんどなのだ。
たかが礼、されど礼である。
無礼な相手に時間を割いてメールを書くのもバカバカしいので、今は基本的に信頼関係のできている人以外からの質問には対応しないことにしている。
始末が悪いのは、時々知人の大学教授から紹介をうけたという学生とか、メールマガジンの読者だという人物からの質問だ。こうなると無碍にすることもできず、時間を割いて回答することになる、しかしこれもまた、それ以降一言の礼のメールもない。
いやもう、失礼きわまりない、憤慨ものである。そんなわけで、私はここで『質問には答えません宣言』をしておこう。
憤慨ついでに書いておくが、学生からのメールには質問のしかたが稚拙なものもある。最高学府で学んでいるのであれば、もうすこし勉強してほしいものだ。
■情報はタダではない
しかし、もう少し冷静に考えると、こういう失礼な人たちが多いのもネットの普及で情報はタダ、ということが当たり前になったせいではないかと思える。
いつぞや、たまたま検索していて覗いたページにドイツの大学で教鞭をとっている日本人のページがあった。やはり質問メールがよく来るそうだ。当初、回答していたものの一言の礼もないと憤慨されていた。そして質問メールには一切回答しません、という宣言も出されていた。
だいたい情報にはお金がかかるものである。
思い出してほしい、刑事モノの映画などで時々こんな場面があるではないか。街の事情通から情報を得たいときには、紙幣を一枚まず渡す。さらに情報を知りたいときにはまた一枚という具合である。情報はタダではないのだ。
また周知のとおり、ネットの情報はタダのように思われているが商業サイトに限っていうと、閲覧者にとってタダになるような仕組みになっているだけである。実際にはそれ相応のコストがかかっている。
■ジャーナリストの立場から
それから私自身はジャーナリストである。
ジャーナリストとは『ジャーナリズムの遂行者』のことであり、ジャーナリズムとは『イズム』であると定義したい。
ではこの『イズム』とは何か。百家争鳴、議論はいろいろあるが、大原則としてジャーナリズムは社会の中で必要な情報形態で、ジャーナリストは取材や調査で得た情報は社会に公開するものであると私は考えている。
したがって職業人としては、記事に対する質問などには答えるが、私が取材や調査で得た情報を個別に提供することは基本的にしない。
ちなみに冒頭で質問メールに対して『信条から公開してもよい範囲で回答する』ということを書いたが、質問の内容によっては私自身が記事として社会に向けて公開した範囲で回答しているということである。
ともあれ、ネットの出現によって社会や人間関係は変わるだろうということは、10年前からいわれていた。私の立腹経験などはそのネットの普及結果のひとつだろう。
ネット普及からまだ10年余り、いや、『もう10年余り』。いずれにせよ情報をめぐる発信者と享受者との関係、情報形態と社会について議論と理論、それからネットでの人間交際リテラシーの普及がまだまだ必要だ。(了)
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