ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2008年1月18日



ニートと休暇

ニートという言葉があるが、日独を比較しながら見たときに、生物としての危機退避行為にみえてくる。そんな見方から、今の日本に何が必要なのかを考えてみたい。

お金もちになる前に・・・
年末年始に日本から古くからの友人が遊びにきた。正月には彼女の故郷の雑煮を作ってくれるなど、一味ちがったお正月をすごした。

ただ残念だったのが、彼女の体調がすぐれなかったことだ。彼女はフルタイムで働いているが、仕事とはできる人のところに集まる傾向があものである。優秀な彼女の仕事量は大変なようだ。そこへ、年末の忙しさが加わわっていた。ところがドイツへやってきたとたん、環境ががらりとかわった。そのため疲労が一気に噴出した感じだった。

そんな友人は『ドイツは時間の流れ方が遅い』とふと漏らしたが、私もドイツに来たころ同じ感想を持った。ドイツに住んでしまうと、それなりに忙しい毎日をすごしているが、それでも時短で有名な国である。わが家をかえりみても、家族全員で夕食を食べるのが普通であり、毎年長期の休暇を家族で楽しむことができる。

一方、友人はというと勤続20年のご褒美というかたちで、年末年始あわせてようやく10日ほど休暇がとれた。私も日本の会社で働いていた経験があるから、彼女の忙しさは私なりに想像できる。

それにしても過労死という言葉が定着して久しいし、あるドイツ人の友人などは日本で働いた経験があるのだが、『お金持ちになる前に死んでしまうと思った』とドイツに戻った理由を語ってくれたことがある。

生物としてのヒト
かつてフリーターという言葉にはかっこよさがあった。
経済の『バブル化』のおかげで、フリーターにも十分に富が分配され、そのうえ正社員のような束縛がなく、自由に生きていくというニュアンスがあったからだ。

また、このころも人々はせわしなく働いていたが、時代の気分は上昇志向とか、関西弁でいうところの『いってまえ!』という勢いがあったから、品はないが生物としては生命力がキラキラ、いやギラギラしていた。

ところが、昨今の忙しさには苦役のような息苦しさがあるように思える。個別には充実した毎日を送っている人もいるだろうが、全体像としては仕事量だけが多く、バブル期のころとの対比でいえば、生命を削って働いているようなイメージがある。

それに対して、ドイツの労働時間は短く、生命をケアするための有給休暇がある。もちろん、こういう恵まれた状態が確立するまでの紆余曲折はあるし、現在でも労使間のせめぎあいや、プレカリアートといった新しい問題も出てきている。それにしてもドイツの様子は日本に比べると生物として正常な状態を維持することが制度的に確保されているといえる。

そんな日独の様子を比べてから『ニート』に着目すると、生物として生命の危機感のあらわれではないか、と思えてくることがある。ニートにはいろいろな問題が含まれているが、地震や噴火の前に逃げ出す動物のように、生命危機からの退避にすら見えるのだ。

キーピング・オブ・ライフ
ところで第二次世界大戦中の初期、ゼロ戦は敏捷で強い戦闘機だったというが、その理由は燃料タンクの補強などがなく、機体自体が軽かったためだとか。そのかわりちょっとした攻撃を受けると炎上したという。一方、米軍機のほうは、パイロットの死亡率を下げるために燃料タンクなどが補強されていた。ゼロ戦に比べて敏捷性よりもヒトの生命をきちんと確保しようという設計思想があったといえるだろう。

もう10年ぐらい前のことだが、アジア諸国で家電製品を販売していたビジネスマンと話したとき、中国の交通事故の様子などが話題になった。ビジネスマン氏は『アジアでヒトの命は安いですからね』と身も蓋もない表現をしたが、ゼロ戦と米軍機を比べても、この言葉は使えると思う。

クオリティ・オブ・ライフ(QOL)という言葉がある。通常『生活の質』と訳されていおり、社会が成熟してくると、これに対する追求が強くなってくる。

クオリティ・オブ・ライフという言葉をきくと、私はいつもゴロあわせ風に『ミーニング・オブ・ライフ』というモンティ・パイソンの映画タイトルを思い出してしまうのだが、ひょっとして今の日本は『生活の質』『人生の意味』などよりも、キーピング・オブ・ライフ、『命の維持』から社会制度の設計を考えていく必要があるのではないかと思えてならない。日独両国は経済大国であるという点で同じだ。しかし日本の労働の枠組みに生命維持装置を見出すのは困難だからだ。そう考えると『ニート』が出てくるのも生物学的な比喩でいうと当然かもしれない。

さて冒頭の友人の話に戻ると、休暇は最低2週間は必要だと思った。まず最初の1週間で疲れをとり(命の維持)、次の1週間でようやく休暇を楽しめるというものだ(生活の質)。もっとも『有給休暇は病欠のため』という日本の常識から考えると難しい話であるが。(了)

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