ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年12月21日



19世紀末の女性起業家とドイツらしさ

ぬいぐるみのトップメーカーの創業者、マルガレーテ・シュタイフの伝記ドラマを見た。2年前にテレビでオンエアされたときにも見たのだが、印象的な作品で、もう一度見たいと思っていたのだ。久々に見た所感を記しておきたい。

ぬいぐるみの『ベンツ』

『ぬいぐるみ界のベンツ』の品質保障マークは耳につけられたタグとボタン。
シュタイフ社は左耳にイヤータグのついたぬいぐるみメーカーで知られ、世界中に愛好家がいる。品質はもちろん、コレクションとしての価値も高く、ついでにいえば値段も高い。『ぬいぐるみ界のベンツ』といったところであろうか。

このドイツが誇るトップメーカーの拠点は人口2万人弱のギーンゲン市にある。最近、同社のミュージアムを訪ねることがあり、そのついでに創業者のマルガレーテ・シュタイフの伝記ドラマを購入したのだ。

余談だが、同社のぬいぐるみは日本にも愛好家は多く、ミュージアム内の説明などのボードはすべて日本語も併記されている。実際、私が訪ねたときもバスで日本人団体が訪問していた。

マルガレーテのタフネス
マルガレーテ・シュタイフは1847年生まれ。幼少時の病気がもとで右手と両足にハンディキャップがある。それにもかかわらず洋裁学校を終え、才能と粘りでフエルト製品販売会社を1877年に姉妹とともに設立。その3年後の1880年にシュタイフ社を設立した。

身体にハンディキャップがありながらの会社設立という経歴をみると、さぞかし苦労したに違いないという印象を持つ人は多いだろう。伝記ドラマでもハンディキャップに伴う苦労が描かれ、それを克服していく姿がエピソードとしていくつか挿入されている。

まずは子供時代。小学校の就学時期にあるが歩行が難しい。大路を見てふと思いついたのは荷物を運んだりする手引きの小さな車。なんとか調達して弟に引いてもらって学校に通う。

1903年に建設された工場。ミュージアムがそばにある。ガラス張りの建築は当時珍しかった。伝記ドラマでもこの工場がロケに使われたようである。
洋裁学校を出たあと、洋裁で身を立て始めたころ、当時の最新テクノロジーであるミシンを導入した。当時は右手をつかって動かす手回しミシンである。右手が動かないマルガレーテは最初落ち込むが、考え抜いた末、ミシンの位置を180度変えた。自由の利かない右手で布をおさえ、左手でミシンを動かした。

それからミュージアムでの説明や他の文献とはやや異なるのだが、伝記ドラマでは弟が熊のぬいぐるみの試作品を作りかけていたとき、熊の手がぶらりと揺れた。それを見たマルガレーテは手足、首が動く人形、同社の主力商品であるテディ・ベアの開発につながった。

ドイツの『プロジェクトX』?
ともあれ、伝記ドラマにはハンディキャップを克服した女性起業家の物語という側面もあり、エピソードから、粘り、豊かな発想力、実行力といったものが見てとれる。

話はややそれるが、こういった資質は『プロジェクトX』の登場人物たちにもあり、強調される。そのため、『プロジェクトX』のヒットは、バブル崩壊後の閉塞感をうちやぶるべきだという雰囲気によくあった。

さて、ドイツではどうだろうか。
ドイツも細部を見ると日本と異なる点も多々あるが、大雑把にいえば、戦後『経済の奇跡』とよばれた復興を経て、成熟したという点ではよく似ている。現在もハイテクだの、イノベーションだのと様々な動きはあるが、マルガレーテがもっていたような精神はドイツ社会ではずいぶん薄くなった印象をうける。この印象が正しければ、たとえば、ミシンのエピソードのようなことがあれば、今のドイツ人は克服という発想よりも、文句をいうことにエネルギーを注ぐだろう。

そう、『成熟』というのは耳障りがよいが、経済復興以前のタフネス、粘りといったものがなくなったといえると思う。成熟社会とは、『がんばればよくなる』というリアリティが薄くなることだから当然かもしれない。そんなドイツ社会にシュタイフの伝記ドラマはどううつるのか興味深い。

ローカル・ヒーロー、グローバル・プレイヤー
マルガレーテの最初のヒットは象のぬいぐるみだった。そして同社の代名詞テディ・ベアである。時期は19世紀後半。西洋は都市が発展してきた。象のぬいぐるみは元々針刺しとして作ったものだったが、玩具としてヒットしたかたちだ。針刺しという実用物よりも玩具として需要があったというのは、工業化と都市の発展が背景にあったからだろう。本人の才覚もさながら、当時の都市生活者の増加にうまくのったと言える。

それからドイツは見本市が盛んな国だが、シュタイフも例外なく見本市で販路を拡大している。ドイツにおける見本市という様式の定着ぶりは、ドラマを見ていると納得してしまう。

さらにシュタイフの拠点ギーンゲン市は現代でも人口2万人の街である。これほどまで事業が拡大すると、ミュンヘンやニュルンベルクといった大きな都市に拠点を移しそうなものだが、同市を拠点としている。一般にドイツでは『東京で一旗あげ』、そのあと『故郷に錦を飾る』といった発想は少ない。これは創業者マルガレーテの考えもあったのかもしれないが、ギーンゲン市を本拠地にし続けているのはいかにもドイツらしい。

いずれにせよ、同市は『シュタイフ・シティ』という枕詞までつけられることがあり、『マルガレーテ・シュタイフ通り』まである。よしあしは別に街のアイデンティティの一端をになっているわけだ。

さらに実利的な点をいえば、ギーンゲン市の雇用、税収などはシュタイフ社に依存する割合もけっこうあるのではないかと思われる。加えて、ドイツの企業は一般に拠点地域へのメセナや社会貢献をよく行う。それを考えると同市の文化や社会福祉にもかなり貢献しているかもしれない。ともあれ同社は『グローバル・プレイヤー』であり、そして『ローカル・ヒーロー』だ。(了)


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