ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年11月08日



グミとケーキ

長男のクラスで、あるドイツの習慣が廃止になった。この一件はドイツ社会の変化を映し出しているようにも思える。

※この記事はメールマガジン『ドイツ発 わが輩は主夫である』に執筆したもの です。

誕生日ケーキ廃止!

一番下の長男が9月から小学生になった。入学式を終えて数日後、最初のエルタン・アーベント(両親の夕べ)、つまり保護者の集まりが夜に行われ、妻が出かけていった。

帰宅後、保護者会の様子をたずねると、『今年は誕生日のケーキをつくる回数が一回減ったよ』と憮然とした顔でいった。

ドイツの人々は誕生日を大切にする。自分の誕生日には職場にケーキを焼いて持っていき、同僚たちに振舞う。学校や幼稚園でも子供の誕生日にはケーキを持たせ、同じように振舞うわけだ。

ケーキづくりといえば、大変そうに思えるが、ドイツの調理感覚からいえば、ひょいひょいと焼いてしまう。男性でも事もなげに作ってしまう人も多い。

余談めくが、京都に住んでいたころ中国の友人がいた。彼女の家にみなが集まれば、ひょいひょいと餃子を作ってしまった。彼女自身、中国にいたころ自ら作ることはなかったそうだが、子供のときから家の中で餃子をつくるのを見て育った。それで簡単に作れるのだと教えてくれた。身近な料理は自然に踏襲されていくことがよくわかる。ケーキはドイツの人にとって中国家庭の餃子と同じようなものなのだ。

ところが、である。保護者会で一人のお父さんが言い放った『ウチは子供が3人いる。誕生日のケーキを3回も焼かねばならず大変だ。このクラスではケーキの持参をなしにしたい』。

別のお母さんが反論した『分かち合うことを学ぶ機会でもあるので、それをなくすのはいかがなものか』。

結局のところ先生が『グミベア』、ドイツで子供に人気のある熊の形をしたグミのお菓子なのだが、そのグミベアを保護者が出し合っているクラスのお金で購入し、誕生日の子供がいると振舞うことになった。

不精社会化するドイツ
ドイツも日本と同様、少子高齢化の社会であるが、結婚したカップルが持つ子供の数はそれなりにいるというのが実感だ。少なくとも私のまわりでは一人っ子を探すほうが難しい。だから年間2回、3回ケーキを焼く家のほうが多いと思われる。

わが家の場合は午前中に学校が終わってから、隣の学童保育のような機能がある幼稚園に2時半ごろまでいる。妻は『ウチだって子供は3人。小学校と幼稚園用にケーキをつくるので、数でいえば年間6回焼くことになる。それでも私はこれまでがんばって焼いてきた』と誕生日ケーキ廃止に対してあきれている。

日本もドイツも戦後の復興を経て経済が発展した。その中には利便性の追求ということもあった。ややペシミスティック(悲観的)に、そして自分のことを棚に上げていうと、利便性の追求の結果、日常生活に怠惰がはびこるという一面がある。

日独の比較でいうと私は日本のほうが不精社会化が進んでいる印象を持っているが、誕生日のケーキ廃止の意見はドイツの不精社会化の一面に思えてならない。もちろん背景には価値観の変化や消費経済が強くなりつつあるということもあるだろう。

しかし私のような外国人からみても、誕生日のケーキはドイツの良い習慣とうつる。私自身、ドイツの職場の雰囲気は伝聞でしか知らないが、日本のように仕事のあと、職場の同僚とつるんで一杯飲みにいくという習慣がない。それゆえにケーキを職場に持っていくことは、『分かち合い』のほかに、コミュニケーションの促進や仲間意識の醸成など目に見えない人間関係の維持に役立っているのだと思えるのだ。

習慣とはある社会の中で共有されるものである。そういう習慣は子供の時から刷り込まれていくということも少なくない。つまり、学校で誕生日のケーキをやめるということは、大げさにいえば習慣の継承をつぶす。やや極端なことをいえば、職場のひとつのコミュニケーション・カルチャーがなくなる可能性だってあるわけだ。

時代とは変わるものである。それにしても、親の立場から不精社会化のツケをシミュレーションしてみる必要は十分あると思う。(了)

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