ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
前へ次へ
|インターローカルニュース | ノートのリスト |

2007年10月02日



武器としての学問

教育とは何か。社会情勢や価値観の変化で教育観は変化するが、ドイツと日本を見ながら考えてみた。

映画に見る社会認識
最近、続けて『スウィングガールズ』(2004)と『天使にラブ・ソングを2』(1993)の2本の映画を見た。この2つの共通点は高校生が音楽を通して達成感や充足感を知り、成長していくということだ。

『スウィングガールズ』は山形県を舞台に夏休みの補習を受けている女子高生がふとしたことからビッグバンドを組んで、ジャズ演奏をするというもの。だらだらと補習授業に出ていた女子高生が演奏の面白さを知り、ビッグバンドを苦労しながら実現していく。

『天使にラブ・ソングを2』はラス・ベガスで歌う歌手デロリスがシスターとして、高校の音楽担当として着任。『学級崩壊』状態の高校生たちを聖歌隊をつくることで、彼らのモチベーションを高め、合唱のコンテストに出場。

いずれの高校生もいわば落ちこぼれなのだが、楽器演奏や歌の楽しさが前面に出て、エンタテインメントとして優れている。高校生がひとつのプロジェクトに取り組むすがすがしさが伝わり、青春映画としても成功している作品だ。

さて、気になったのが背景にある社会認識である。『天使にラブ・ソングを2』ではウーピー・ゴールドバーグ演じるシスター(実は歌手のデロリス)が『いくらイキがっても、教育がなければ誰も相手にしない。それが現実』といった趣旨のことを教室でいう。『もし何者かになりたければ、目覚めよ、そして歩き出せ』という内容の言葉がキーワードになる。

エンタテインメントとしての評価とは別に、ふたつの青春映画を並べたときに『天使にラブ・ソングを2』にある社会認識の厳しさが際立って見えてくるのだ。『スウィングガールズ』にはこのような厳しい社会認識は見られない。

日本、ドイツ、アメリカ
教育がなければ現実の世界で相手にされない、という考え方は厳しいが、見方をかえれば教育はアメリカンドリームを勝ち取る第一歩であり、こういう社会認識がアメリカ社会のダイナミズムにつながっているのではないかとも思えた。

日本もかつては『末は博士か大臣か』といった言葉があったように、地方の子供でも学問で身を立てるという発想はあった。こういう発想が受験戦争につながったといえるし、社会全体から見たときに良くも悪くも社会階層の移動につながった。若い近代国家だからこそ起こりえたダイナミズムだったのかもしれない。

ドイツはといえば成熟国家でもあって社会全体のダイナミズムに欠けるという言い方もできる。それゆえ『ジャーマン・ドリーム』のような言葉もなかなか見当たらない。ここ数年ドイツではドイツとしての自信をとりもどそうというキャンペーンがあり、テレビ局が『ジャーマン・ドリーム(原語はもちろんドイツ語)』と冠したものを取り組んでいるが、それほどインパクトはない。

加えて階層移動が少ない社会である。2004年に発表されたある報告書でも、大学に進学する者の親は、そのほとんどが最高学歴を持つ。1960年代の調査でもフランスやイギリスの大学進学者の25%が労働者層の出身だったがドイツは8%だった。

もっとも、これはあくまでも数字上の話で、ドイツはマイスター制度で知られるように職業と教育の関連性がそもそも高い。それゆえ個人の人生として階層移動がなくとも十分に達成感のある人生を送れる社会であったのだろう。職業教育による理論と実地訓練を同時に行う二元制(デュアル・システム)は長年、メイド・イン・ジャーマニーの品質と信頼性につながっていた。

グローバリゼーション
階層移動や社会のダイナミズムが小さいドイツにあって、2000年ごろからグローバリズムの影響がじわじわときている。

職業と教育の関連性が密接であると述べたが、専門教育よりも一般教育に関心が高まっていて、既存の構造にほころびが出てきている。単純ないいかたをすれば、ウデのいい大工さんになるよりも大卒のマネージャーのほうがよしとする考え方が大きくなっているというわけだ。

私の観察でいえば、こういう価値観が増大するとますます階層が固定しそうな気もする。

日本の階層化は教育の市場化で親の経済力と子供が受ける教育が決まってくるということがおきている。それに対してドイツの場合、教育は日本ほど市場化していない。つまり子供の勉強は親がかなりサポートしなければならない。親の学歴が低ければ、高度な一般教育に対応できないということが出てくるわけだ。しかしこの価値観と階層の固定化がセットになることは好ましくない。
※    ※
ひるがえって『スウィングガールズ』と同じく山形が舞台になった映画『たそがれ清兵衛』(2002)で興味深いことを清兵衛に言わせている。

論語の素読をする娘がふと『学問は何の役にたつのか』とたずねる。学問は針仕事のような役には立たないが、自分の頭で考える力がつく。この先、世の中がかわっても考える力があれば何とかして生きていける。それは男も女も同じだ。と清兵衛は娘に言い聞かせた。映画の舞台は幕末だが、社会の変化という意味では現在のグローバリゼーションと重なってくる。

『考える力』と『学歴』は別のものであるが、一般教育が重視される風潮の中では学歴がモノをいうことも多い。ただ本質的には『考える力』がその人の実力のエンジンだ。親も学校も社会もその点を意識しておく必要はあると思う。(了)

無断転載を禁じます。
執筆者の高松 平藏についてはこちら
|インターローカルニュース | ノートのリスト |