ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年10月01日



ヒーローと環境問題

スーパーマン、ウルトラマン、仮面ライダーといろいろヒーローはいるが、彼らはなぜ戦うのだろうか。日米ヒーローの動機の比較をしてみると環境問題への考え方とも同じような違いが見えてくる。

スパイダーマンの動機
映画『スパイダーマン』(2002年)を見ていると、『大いなる力には、大いなる責任が伴う(With great power comes great responsibility)』というせりふが出てくる。クモが持っている能力を得た青年、ピーターがスパイダーマンとして活躍する動機である。

荒唐無稽なアメリカンコミックであるにもかかわらず、この言葉を聞くとノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)という考え方を思いおこす。そもそもキリスト教圏の考え方だが、聖書にも『すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される』という言葉があるそうだ。

さらにもう一歩踏み込むと、大企業の社会的責任という考え方もここの延長線にあるわけで、アメリカのヒーローの動機付けというのはアメリカの現代社会において、力を持つものにも求められる精神であるわけだ。

勧善懲悪
一方、わが日本のヒーローはどうだろうか。
スパイダーマンの映画のような作品が手元にないので、検証ができない分不公平なのだが、子供時代のヒーローものの主題歌をたぐると、『地球の平和を守る』という大義名分が多かったように思える。

『大義名分』と書いたが、日本のヒーローは自分が持つ力に伴う『社会的責任』ではなく、大義に対して活躍している。大儀をほぐせば正義ということになろうが、本質的に勧善懲悪だ。

正義と責任はどちらも重いものだが、宗教戦争をみるとわかるように、正義とはしばしば自己を中心にした考え方が伴う。つまりショッカーの正義からいえば仮面ライダーは懲らしめるべく対象であり、毎週やられている怪人たちはショッカーにとって正義の味方であるかもしれない。ひょっとしてショッカーの世界では仮面ライダーに殺された怪人や戦闘員の鎮魂碑すらあるかもしれないわけだ。

だから正義はときどき違和感が伴う。ブッシュが、とある国を『悪の枢軸』などといったときに、私は思わずブッシュが仮面ライダーに、『悪の枢軸国』はショッカーに見えた。

環境問題とも同じ?
『地球の平和を守る』という大儀をみると、日本の環境問題に対する認識と同様のものを思い出す。『地球を守る』とか『地球に優しく』といった類のものだ。

欧州の環境意識をみると、地球の温暖化が進むと人類の生存ができない。これは都合が悪い。という考え方で、あくまでも人間が中心におかれている。言葉としては『地球を救え』といった言葉がたまに目につくが、基本的に日本の環境意識と発想が違うように思う。日本にくらべると社会的・政治的なレベルで環境が動くのも『人間中心主義』が原則的にある。

日本でよく使われる『地球を守る』といった類の言葉はきれいなのだが、どこか他人事にきこえてしかたがない。おそらく、ドイツの環境意識に対して、日本におけるこの言葉は人間中心主義というバックグラウンドが希薄だからなのだと思う。『地球を守る行為をする人は正義である』ということを表明、あるいは推奨しているだけにとどまっているように思うのだ。

ショッカーを倒す正義の味方はいるが、人類の生存環境を維持してくれる正義の見方『エコロジーマン』はいない。もし地球のための正義の味方がいたら『悪』は人類ということになってしまう。(了)

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