ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年6月25日



変わってきた? 言語感覚

ドイツの日常生活やメディアをみるとドイツ語を大切にしている。一方、最近のDVDをみると外国の作品でもその国のオリジナル言語で楽しめるものがふえてきたようだ。

ドイツ語至上主義
電化製品を購入したとき、目に付くのが多言語によるマニュアルだ。たとえば数年前に購入したラジオ付の目覚まし時計のマニュアルはギリシャ語やイタリア語など11ヶ国語で作られている。このメーカーは欧州全体を市場としていることがよくわかる。時には中国語、アラビア語までカバーしているものも見かける。

また言語的には日本語と比べるとドイツ語と英語は近い。そのせいか、ドイツで英語を話せる人は多い。

ところが、である。実生活ではドイツ語至上主義ともいえる状態がある。

ある文化関係のフォーラムで参加団体が紹介されるときに、ひとつの団体の名前は英語で付けられていた。司会者は団体名を紹介したあと『えーこれは英語ですが』とわざわざ一言つけ加えた。そこには『ドイツの団体なのに、なぜ英語なのだ』という含みがあった。

またテレビを見ていても逐一必ずドイツ語に吹きかえられている。いつぞや友人とシュワルツネッガーの映画を映画館へ見に行ったが、現・カルフォルニア州知事殿は流暢なドイツ語を話していた。

ドイツ国内向けの放送・上映だから当然といえるかもしれない。しかしながら外来語がそのままカタカナ化されて使われたり、カタカナ外国語を会社名や団体名に平気で使う傾向の強い日本と比較すれば、『ドイツ語至上主義』とでもいうような意思を感じる。これは言語こそ国であるという意識なのだろう。言語は国家のアイデンティティを担う文化なのだ。

よくフランス人はわざと英語を話さないと言われる。インターネットが広がり始めたころ、フランスは欧州の中で最も普及が遅かったが、その理由に『英語文化圏の技術だから』というような説明もあった。真偽のほどはどうかわからないが、言語と国家意識のつながりを考えたときに一定の説得力はあった。

ドイツの場合も程度の差こそあれ、言語と国家意識がつながっているのだろう。特に公的な言語空間でもあるメディアではドイツ語至上主義は基本的な認識とされているのかもしれない。

日本語DVD
最近ドイツで日本のアニメのDVDが出回るようになった。おもしろいのはオリジナル言語、すなわち日本語の音声もはいっていることだ。ドイツ語至上主義的な傾向を勘案すると、以前ではちょっと考えられないことだった。

市内の家電量販店のメディアコーナーを見ると、ジブリ作品のほか、『犬夜叉』『ブラック・ジャック』といった作品が目についた。そのほか、アマゾンで検索したドイツ市場用の日本映画の中にも日本語で楽しめるものがけっこう多かった。

もちろんビデオテープとは異なり、技術的に多言語化が可能になったという事情はある。しかしながら、日本のアニメが世界的に有名になったという事情も切り離せないのではないか。いや、むしろ日本語ができなくても、アニメを見るときには日本語の響きを聞いてみたいというアニメファンの要望とDVDの技術がかみ合ったとみるべきかもしれない。

情報化の功罪
言語は国家アイデンティティを担う文化という考え方は国民国家の成立に付随するものであろうが、ドイツのDVDでの多言語化はグローバル化と情報化の時代をいかにも象徴しているかに思える。

文化や伝統が情報化していくと、国とか民族といったものにまつわるこだわりが薄くなる。日本語が聞けるDVDはアニメファンにとって日本語とか日本文化を学ぶ教材ではなく、あくまでもクールな(かっこよい)映像商品といったところだろう。文化とか伝統の情報化が進むと異文化への偏見がなくなるという利点があるが、悪くいえば消費される可能性もある。

ともあれ、わが家で購入した、いくつかのジブリ作品と黒澤映画はドイツ語と日本語で楽しめる。私にとってはうれしい限りである。(了)

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