ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2007年4月12日



『国産検索エンジン』を考える

欧州で国産検索エンジンの開発が盛んだ。日本でも同様の動きがあるが、なぜ検索エンジンの開発に躍起になるのかを考えてみた。

フランスの国産検索エンジン
昨年4月末にフランス政府は国産検索エンジンの開発プロジェクト『QUAERO(クエロ、ラテン語で“私は探す”の意)』をドイツと共同で立ち上げた。これは2005年のシュレーダー首相(当時)とシラク大統領による技術協力体制に端を発するものだ。

このプロジェクトはシラク大統領の写真つきでメディアで報じられることがよくあった。というのも大統領自身が国産検索エンジンについて言及することがあったからだ。

理由は明らかで、反グーグルだ。昨今、知や文化といったソフトパワーはネット上に蓄積される。その窓口にカルフォルニアの企業が一手にひきうけるという形は国家的危機というわけだ。

ソフトパワーと国家
フランスの危機感を理解するためにはフランス=文化重視というイメージをわれわれは思い浮かべるべきだろう。フランスは欧州の中でも文化こそ国家という考え方がでてきやすい。

たとえば2006年3月にEU首脳会議の席上でフランス出身の産業界の代表が英語でスピーチしたというだけでシラク大統領は『フランス人がEUの席上で英語を話すとは』と憤慨して退席してしまったこともある。国際化だの、英語教育だのという風潮が強い日本で、ピンとこない人もいるかもしれない。しかし言語こそ文化なのである。

19世紀の国民国家の文脈では国家にはアイデンティティが必要であるという考え方がある。アイデンティティのない国家はほかの国から尊敬を得ることができなるからだ。アイデンティティを成すのは具体的には文化や知的遺産、伝統ということになる。今風にいえばソフトパワーだ。

いまやグローバル化の時代というが、国民国家を生み出した欧州の国家観にソフトパワーの保護するべきだという考え方はしっかりとある。EUでは相手国の言語を尊重するという原則を持っているので翻訳センターなどというと大変な規模の部署になっているようだ。

『知識のインフラ』目指すドイツ
実はドイツは昨年末にフランスとの共同プロジェクトから手をひいた。

連邦政府ハイテク戦略『情報化社会2010』の中のひとつドイツ国産検索エンジン『Theseus(テーゾイス)』の支援にまわった。3月にハノーファーで行われたIT見本市『CeBIT』の開会式でメルケル首相はこのハイテク戦略について話し、国産検索エンジンにも言及している。

プロジェクト離脱の背景には両国間の技術的方向性の違いや両国とのコーディネーターがうまく立ち回らなかったということ、QUAERO がEU公認にならなかったといったことなどが理由であろうといわれている。ちなみにEUはスエーデンの検索エンジン「Pharos(Platform for Search of Audiovisual Resources across Online Spaces)」を『EU検索エンジン』として支援にまわっている。

また、ドイツが独自路線に切り替えたのはフランスの反グーグル色がなじまないからとしているが、これも程度の差だろう。ドイツの検索エンジンはテキストを意味体系で解析していくタイプのものを目指しており、しかも検索エンジンというより『知識のインフラ』としているから、事実上ドイツ語圏の知識を扱うための技術だといえよう。

ちなみにドイツのTheseusは『テセウス』と表記したほうがなじみがあるかもしれない。怪物ミノタウルスを退治し、迷宮から脱出したという、ギリシア神話に登場するアテナイの王様の名前である。知識の迷宮から抜け出すということから名づけられてている。

日本との比較

日本でも国産検索エンジンを開発しようという動きがあるが、失敗におわるのではないかと見る向きが多い。ドイツのメディアでも仏独の国家的な検索エンジンへの取り組みは『大失敗』とメディアは手厳しい。

また、フランスの『QUAERO』は『私は探す』を意味するラテン語からとられたものだが、ひょっとしてプロジェクトの居所や収束のしかたを探さねばならない段階かもしれない。

だが、仏独の根底にはソフトパワーで国家アイデンティティを成すという考え方の延長線上にある。それに対して、経済産業省の資料を読む限りは日本でこの考え方は政治的コンセンサスが小さい。最近こそ『クール・ジャパン』というかたちでソフトパワーの重要性が政治のレベルでも論じられるようになったが、文化と国家のあり方の違いが検索エンジンの扱いについても出てくることがうかがえる。

余談であるが、私は以前、日本である文化の催しに参加したことがある。関係者だけのディナーでは日本、オーストラリア、フランス、アメリカといったが顔をそろえ、自己紹介することがあった。

各人に優秀な通訳がついているにもかかわらず、主催組織の責任者が英語でスピーチした。そのあとフランスの代表者は自国の文化を代表する場であるからフランス語で私は話しますといった旨の断りをいれて、フランス語で自己紹介した。この日本の責任者はまがりなりにも文化の催しを主催しているにもかかわらず国家と言語と文化に関する理解はないことは明らかだった。(了)

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