ドイツ・エアランゲン在住ジャーナリスト
高松平藏 のノート
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2006年10月17日


「棟梁ソルネス」の所感

Baumeister Solness ポストカードより
演劇『棟梁ソルネス』を見た。私は演劇方面はそれほど詳しくない。またドイツ語の台詞をきくのもなかなか大変であるが、所感を書いておく。

この作品はノルェーの劇作家、ヘンリック・イプセンによって1892年に書かれたものである。

建築家のソルネスが小悪魔的な女性に翻弄され、最後は命をおとすという話だ。これだけ書くと、安っぽい映画か単なるソープオペラとかわらない。

もうすこし作品の意味を理解するには、イプセンの時代背景と照らし合わせなければならない。そうしないと今、上演することにどんな意味があるのかというこも分からなくなる。が、そのあたりの体系的な知識については私は持っていない。

ただ、今年はイプセンの没後100年の年だそうである。私が見たのはフュルト市の市営劇場だが、同劇場ではこの日が初演。『イプセン・イヤー』と絡めての上演なのかもしれない。
棟梁ソルネス(Baumeister Solness)
フュルト市市営劇場(Stadttheater Fuerth) 初演:2006年10月14日
写真:Thomas Langer

さて、作品の印象だけを述べておくと、残念ながら俳優に魅力を感じなかった。ソルネスの夫人役の女優さんの演技が唯一印象に残ったぐらいだろうか。

一方、斬新だったのが舞台セットだ。建築家の仕事場がメインになっているが、銀色のフレームと白い布で作られ、極端な遠近感を生む形になっている。SFに出てくる宇宙船の中身のような印象を得る。

それから日本語では作品タイトルを『棟梁ソルネス』と訳されているが、違和感がある。ドイツ語になっているものをみると『Baumeister』となっているが、こちらのほうは建築家と訳したほうがピンとくる。手元の辞書を見ても『建築士』という訳語が与えられている。

日本でイプセンの作品がはじめた上演されたのは、1909年(明治42年)だという。当時の翻訳では『棟梁』とするほうが分かりやすかったということか、それとも当時はまた『建築』という言葉がなかった、あるいは膾炙(かいしゃ)していなかったのだろうか。

訳語を解読すると、異文化を受容した時の時代背景や解釈の過程が見えてくるものである。日本が近代化を目指した時代の、新劇に強く影響を与えたのがイプセンである。すでに専門家のあいだでは論じられているのだろうが、イプセンがどのように日本で受容されたのか興味深いところである。(了)

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