2006年10月06日
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ドイツのジェネレーション・ギャップ
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どこの国でも年齢層ごとにジェネレーションギャップがあるものである。日本からドイツをみたときに「ドイツ人」とついひとくくりに見てしまいがちだが、この国でも当然、世代別にある程度特徴がうかがえる。
※この記事は2005年9月28日付 The DAILY nna ドイツ&EU版 に執筆したものに手を加えたものです。
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■ドイツの68年世代は団塊世代?
戦後のドイツで社会に大きな影響を与えたのが『学生の反乱』と呼ばれる1968年の学生運動。当時18-25歳だった人は現在56-63歳になる。この世代の特徴はイデオロギーに基づく一種の理想主義をストレートに語ってきたことだ。その精神的な指向は日本の団塊世代とも通じるところである。
もっともこの時代はアメリカやほかの欧州でもよく似た状態だった。しかし2003年に爵位をもらったミック・ジャガーが『俺たちが反抗していた権力なんてもうない』と発言したことは記憶に新しいが、確かに時代はかわった。権力の質もかわったし、反権力的な立場にあった人も権力側に行く時代だ。
その代表格がヨシュカ・フィッシャー(48年生まれ)だろう。『緑の党』のメンバーで前政権では外務大臣をつとめた同氏は元々革命家で、タクシーの運転手やポルノの翻訳で糊口をしのいでいたこともある。外務大臣任期中は革命家時代の勇ましい写真がメディアによく登場していた。
フィッシャーは1985年にヘッセンの『環境とエネルギー』大臣になっいるが。この時は白いスニーカーで宣誓を行ったため、『運動靴大臣』といわれた。このエピソードはけっこう有名なのだが、時代の空気が感じられる話だ。
■ゴルフ世代
一方、20歳代へと若くなるほど、68年世代とは対照的な様相を見せる。脱イデオロギー、現実主義的な傾向が強まる。
65-75年生まれを『ゴルフ世代』と命名したのはジャーナリストのフロリアン・イリエス。同名の著書も出版している。『ゴルフ』はいうまでもなくフォルクスワーゲン(VW)の主力車のことだが、この世代が初めて買った自動車はそれまでの『ビートル』ではなく『ゴルフ』だったというわけだ。
特徴はソツがなく、無駄な闘いはしないところにある。例えば『市長というのはモデレーターなんですよ』とさらりと言うバート・メルゲントハイムのローター・バート市長は70年生まれ。この年齢層らしさが透けて見える発言だ。
この世代にとって主人公はあくまでも『私』である。サッカーやハンドボールといったチームスポーツよりもエアロビクスやインライン・スケートなど、ひたすらひとりでやるスポーツを好む。
ゴルフ世代はアウトソーシング志向も強い。愛車が壊れたとき、上の世代は自分で修理したが、ゴルフ世代はためらわず『専門家』に見てもらう。育児も家政婦を雇って任せることを考える。
ファッションに関する嗜好(しこう)も変わった。ゴルフ世代は外見を気にする。ブランド物を買うのも躊躇(ちゅうちょ)しない。ドイツ人といえばケチと相場が決まっていたが、なかなかどうして、彼らは『いいものが高いのは当然』という消費哲学を持つ。
■サンドイッチ世代
68年世代とゴルフ世代の間に挟まれているのが40歳代の『サンドイッチ世代』だ。
『緑の党』が初めて議席を獲得した83年当時、彼らは青春まっただ中。まだ社会変革の当事者であり得た世代で、投票権を手にしたばかりの選挙で多くが同党に票を投じた。『緑の党は』学生運動や社会運動などから生まれ、前政権ではついに与党にまでなったわけだが、いわば68年世代の成功例。サンドイッチ世代はこれに少なからず影響を受けている。2002年の選挙ではこの世代がもっとも多く緑の党に投票した。
そんな彼らは親の世代のように型にはまった人生観を持たず、多様な生き方をしている。いまだ独身という人から子供が4人もいるといった人までさまざまで、既婚の女性には『ドッペルナーメ(二重姓)』を使う人も多い。これは夫と自分の名字をつなぎ合わせて『鈴木―佐藤』などとする方法だ。
余談だが、私の周辺というと必然的に40代の友人・知人が多いが、確かに二重性の人が目につく。あるドイツ人の知人に『二重性の親の子供同士が結婚したら四重の名前になるの?』と冗談できいたところ、『さあ、どうなるのかしら』と絶句してしまった。実際には私の知る範囲では二重性をもっていても、子供はどちらかの姓を名乗っているので名字の『じゅげむ』状態にはならないようだ。
話を戻そう。
このサンドイッチ世代、やみくもに『ナイン(ノー)』と異議申し立てをしていた68年世代の欠点も分かっている。急速な経済発展が過去のものとなった今、きちんとした分析を踏まえて、そこそこ豊かな社会を維持するべきとの意見を持つ。それが自分だけでなく、子供や孫のためだと考えているのだ。リベラル野党の自由民主党(FDP)の党首、グイド・ヴェスターウェレ(61年生まれ)の現実路線はこうした特徴をよく表している。
■薄れる連帯
ところで戦後、ドイツは国民国家としての統一感を生み出すために『社会的』という理念を前面に出した。これが充実した社会保障や短時間労働などの実現に寄与してきた。また『社会的』に関連し『連帯』という言葉がよく使われる。日本では労働運動などを想起しやすいが、身分や立場を越えてあらゆる層が協力し合い、社会を成り立たせようという意味だ。
ゴルフ世代はこの『連帯』の意識が薄れている。20歳代に至っては推して知るべし。
ドイツでは3人寄れば文殊の知恵、ならぬ、3人よればフェライン(ドイツの非営利組織)といってもよいほど、職業・年齢を超えてグループをつくる文化があるが、ゴルフ世代では弱くなっているという。フェラインには連帯と通ずる精神性がある。20年後のドイツはどうなっているか。これはちょっと不安だ。(了)
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