2006年9月26日
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ハイテク州、バイエルン
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バイエルン州は半世紀前には農業国だったが、その裏返しで重工業化が興隆する時代に美しい自然が破壊されることもなかった。それゆえバイエルンは今も多くのドイツ人が休暇を過ごしに訪れる地でもある。だが今ではハイテクの州として、“ブランド化”するまでに繁栄している。
※この記事は2005年6月30日付 The DAILY nna 英国&EU版 に執筆したものに手を加えたものです。状況・日付などは執筆当時のものです
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『革ズボンにビール』といったドイツ人のイメージはドイツ南東部を占めるバイエルン州からくるところが大きい。州都のミュンヘンでは毎年ビール祭り『オクトーバーフェスト』が行われ、こうしたイメージが本当にぴったりくる。
ところが過去10年余りでハイテク産業が発展。『革ズボンとラップトップ』といわれるまでになってきた。
州外からの投資誘致を盛んに行ったことも功を奏してか、昨年は国外からバイエルンへ進出する企業が一気に増えた。米国からは14社、日系企業にいたっては過去最高の18社に上った。
加えて、州内にはシーメンスのほか、アウディやBMWといった主要自動車メーカーがあることも進出を後押ししている。
こうした中、『バイエルンがブランド化しているのではないか』としたのが高級紙ヴェルト・アム・ゾンターク紙(2005年3月6日付)だ。ユーロ圏の金利が50年来の低水準にあり、資金調達がしやすいことなどを背景に、将来性の高い州内企業が外資に買収されるケースが増えているという。ただ会社を分割して売り飛ばすといった投機的な取引は少ない。
州政府のプロジェクトグループ『インベスト・バイエルン』のカロリン・ブルーム氏によると、バイエルンに対する外国企業の関心の高さは衰えていない。この半年間、アジア、特にインドと日本から問い合わせが多く、日本企業ではIT(情報技術)関連が目立つという。
■クラスター政策へ結実
ハイテクの州に変ぼうするきっかけとなったのは、1993年にエドムント・シュトイバー氏が州首相に就任し、翌年から継続的な枠組み政策『バイエルン――未来への積極策』を導入したことだろう。
これにより、先端技術や教育、研究などの分野に対し重点的に予算が割り当てられた。また『所有するより構築を』というモットーが掲げられ、既存の研究機関や大学の支援、あるいは起業センターの設立などに注力。研究成果を市場へ送り出す流れを作った。こうした取り組みは、特定地域内の研究分野と経済分野を結び付ける『クラスター政策』として結実する。
しかもこれは州内の自治体にとっても都合がよかった。というのもドイツの自治体はもともと戦略的に独自の政策を展開する傾向が強く、経済政策も域内のポテンシャルと効果的に組み合わせていくようなところがあるからだ。現在、州レベルでは医療やバイオなど3分野18のクラスターを形成しているが、各自治体独自の取り組みを考慮に入れると、重なり合うクラスターもあるため、正確な数の把握は難しい。
いずれにせよ、州の枠組み政策と州内の自治体の取り組みがバイエルンをハイテクの州に変えた。この10年で特許件数も国内で最も多くなっている。
■欧州の重心、東へ
また欧州の重心が東へ移ってきているという事情も大きい。2004年には中東欧の10カ国がEUに新規加盟した。バイエルンはチェコと国境を接しており、西欧諸国にとって東への玄関口となる。
先ごろ同州はスイス領事館と共同で州内のスイス企業220社にアンケートを取ったが、ここでも新たな『EUマーケット』にアクセスしやすい立地であることがメリットとして挙げられた。同州以外の州やオランダ、英国などに支社を置いていた日系企業が拠点を移す傾向も強まっている。
ところで先月、スイスの国際経営開発研究所(IMD)が『2005年度世界競争力ランク』を発表した。これは60の国と地域を比較し『経済発展』『政治の効率性』など300項目で評価するもの。バイエルンは18位と、昨年と比べ2つランクを上げた。ちなみにドイツは23位。昨年より2つ下落している。
この結果に州経済インフラ運輸技術省は『連邦政府の政策のまずさがバイエルンの足を引っ張っている』と批判。せっかく頑張っているのに18位にとどまってしまったではないか、というわけだ。バイエルンがブランド化したとまで言い切れるかどうかは別としても、連邦政府にかみつくほどの強い実力と『キャラ』はある。(了)
(ドイツ在住ジャーナリスト・高松平藏)
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