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『芸術は社会を変えるか?
―文化生産の社会学からの接近』
(吉澤弥生・著 青弓社)
※以下、アマゾンから転載
内容
地域住民とアーティストの共同制作など、2000年以降の大阪の文化政策を契機に生み出された〈芸術運動〉の調査から、文化政策の現状、創造の現場が直面した困難と可能性、アクティヴィズムとの連関を論じて、社会を変える契機になる芸術活動のあり方を照らす。
吉澤 弥生 (ヨシザワ ヤヨイ)
1972年、長野県生まれ。大阪大学大学院人間科学研究科博士後期課程修了、博士(人間科学)。大阪大学特任研究員、追手門学院大学・成安造形大学非常勤講師。2004年からNPO法人地域文化に関する情報とプロジェクト[recip]で研究部門を担当、05年から理事、09年から代表理事を兼任。専攻は芸術社会学、文化社会学。共著に『文化の社会学』(世界思想社)、論文に「文化政策と公共性」(「社会学評論」第58巻第2号)、「妄想のパブリックアート@御堂筋」(「VOL」第4号)、調査報告書に「若い芸術家たちの労働」(大阪大学)など。)
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私自身のことを少し述べたい。私は1989年から関西の『文化』と付き合いはじめた。時代の動きには慣性のようなものがあるが、当時はまだ60年代、70年代のアングラなどの匂いが残る人や場所もたくさんあった。それらの精神的指向は『アウトサイダー』であり、若者だった私にはよけいにかっこよく見えた。しかし同時にバブル経済の影響下で百貨店が劇場を設け、『ぴあ』や『Lマガジン』といった雑誌、『花形文化通信』などのフリーペーパーが輝きをみせていた。
主観的に、やや強引に言いかえれば、私が体験したこの時代の雰囲気は『アウトサイダー』が居残るなか、『軽やかなサブカルチャー』が花開いた時代といえるだろうか。戦後の日本から考えるとアウトサイダー的態度とは所与の大きな全体(政治、イデオロギー、権威など)に対する『個』の追求であり、若々しい『時代の反抗期』ともいえるかもしれない。やがて経済成長を遂げると、『軽やかなサブカルチャー』でもって個人の楽しみやかっこよさをのびのびと追求・消費する態度が支配的になった。
ただ、いずれの態度も『個人』の比重が大きく、公共性としてのカルチャーとか社会の中でのアートといった議論はおこりにくかった。だいたい、この頃『公共』といえば、ほぼ『お上(国)』のことをさした。そして、もし20年前に『芸術は社会を変えられるか?』などという本を本屋さんで見つけても、おそらく、左翼運動としての芸術の話かなと思ったにちがいない。
■文脈が変わった
しかし、時代はかわる。21世紀にはいると、公共性やら文化政策といったキーワードが芸術や文化にまつわりつくようになった。
もちろん、そういう議論や文化政策に関する動きが以前からないわけではなかった。私自身も90年代の半ば過ぎから手探りでそういうテーマの取材・執筆を少しづつはじめている。それにしても2000年を越え、気がつけば公共性や文化政策は重要なテーマになり、明らかに議論の中心の文脈がかわった。『芸術は社会を変えるか?』という本はまさに日本の21世紀の本なのだ。
面白いのは、タイトルにある『芸術』や『社会』とは2000年以降の大阪の芸術と社会ということだ。つまり、本書ではこの10年ぐらいのことが詳しく書かれており、記録というだけでもこの本は価値がある。というのも、変遷を、歴史を知ることはとても大切なことだからだ。知れば、自分たちは現在、何をしているのかということが客観的にわかる。ちなみに、この記録の中の出来事には、私自身が実際に関わっていたり、友人・知人の活動も登場している。それにしても改めて全体像を把握しながら、個々の活動を再認識できた。
■大阪の構造的な問題
一方、大阪そのものを見ると、橋下氏が府知事、市長として大阪に乗り込み、物議を醸している。最終的な功罪はさておき、おそらく同氏は歴史に残る政治家だろう。ただ文化に関してはどういう理解をしているのかもうひとつよくわからないし、不安、不信をもって見ている人も多いように思う。
こんな様子をドイツから見ると、日本における『政治としての文化』の弱さが露呈しているように感じる。というのもドイツの自治体には文化政策をテーマにしている政治家もいるし、文化大臣ともいえるポストもある。政治家とはビジョンを語り、自治体の戦略を提示する役割をもつ。だから文化政策が押しつぶされそうになったときには政治的に対等な対立がきちんと出てくるわけだ。
遠くから大阪を見ていて歯がゆさを感じるのは構造的にこういう政治的対立が出にくいということだ。
■次の段階のための知的営為
ひるがえって、本書を読めば大阪には『文化』や『芸術』がいかにたくさんあるかがよく分かるのだが、同時に社会や政治、経済とどのように対峙し、あるいは翻弄され、挑戦を続けているかということも見えてくる。そして吉澤さんは色々な理論を駆使しながら、これでもか、これでもかと大阪の10年の動きについて、単なる記録のみならず『位置づけ』『価値付け』『解釈』を行なっている。
つまり我々は大阪の10年の記録、そしてそれが一体どういうことだったのかということを示した一冊の知的営為を得た。大阪の『芸術』『文化』は(いささか古い言い方だが)ある程度、理論武装したともいえるわけだ。
次の課題は、構造的に対等な政治的対立ができる状態が作れるか、あるいは文化政策を自らのテーマのひとつとして取り組む議員が輩出するかということだろうと思うが、他方でイギリスから着想を得たアーツカウンシルについて橋下氏自身がふれ、それを受けて、アーツカウンシルをつくる動きも活発化していると聞く。この本はこれからどんどん出てくると思われる政治的動きに影響し、それがまた研究者として、あるいはrecipの吉澤さんとしての次の仕事につながるのではないかと思う。(了)